(その1のつづき)
ネパール風土逍遥
(その2)
写真と文章 伊達美徳 2011
4.消えゆく森林
●耕して天にも谷底にも至る
カトマンヅからポカラまで西に続くプリティヴィ街道も、
そこから南にルンビニまでのシッダルタ街道もバスで走った。
ネパールでは、南部のタライ平原のほかはどこもかしこも山である。
日本とそれほど違わない気候帯だから緑豊かなはずだが、
どこかしこも山は禿げているし、貧弱な植生ばかり。
それは山々を等高線に沿って丹念に切り刻んで段々畑をつくるからだ。
ネパール山地の植生 |
山岳の中腹を走る街道の両側の谷と山には、
見上げれば耕して天に至り、見下ろしても耕して谷底に至る、
幾重にも幾重にも重なる段々畑がどこまでも続く。
その棚畑のなかにレンガあるいは割石積みの小さな家が散居している。
その段々畑を作ってきた人間の労力にあきれると共に、
なぜそこまでしないと生きられないのか不思議にさえ思う。
一戸当たり農産物の必要量と、段々畑の生産高が関係するのだろう。
それほどに単位面積あたり生産力が低いということか。
山村の畑地 |
●広がる段々畑に消えゆく森林
段々畑にするには樹木は伐採するから急傾斜地のほかは森林は消滅に近い。
残る森林から落ち葉をかいてきて牛の糞と混ぜて堆肥にし、
立木の幹や枝葉を薪にして煮炊きや暖房の燃料に、
緑の枝葉を切って家畜の飼料にと、残る森林も人間による収奪が著しい。
山地の段々畑の作物は、トウモロコシ、ジャガイモ、ヒエなど。
棚畑にしづらい急斜面にようやく茂る森林っも燃料として伐採され、
伐採後は牛や山羊の放牧で乾季には草も生えない。
急斜面の草地には斜め網目状の規則的な模様がついているのは、
牛や山羊が急斜面を斜めに登りくだりする踏み跡なのであった。
そうやって草も幼樹も食い尽くすから、森林は育たない。
実はこれはヨーロッパルプスの草原高地と基本的には同じである。
緑の高原に見えるアルプスの山々もそばで見ると、
牛や羊の放牧で土地はでこぼこ、その糞だらけであった。
ヒマラヤ山地ではシャクナゲ群落の花が美しく観光資源である。
樹林を伐採した跡に生える草や木を牛や山羊が食うのだが、
シャクナゲは毒があって食わないからはびこった結果だという。
美しいシャクナゲの花は森林破壊のもたらす風景なのである。
ネパールの国土保全はこのままで大丈夫なのだろうか。
スイスアルプスの牛や羊の草原放牧地 ネパール高地の等高線にそう段々畑 |
スイスアルプスの放牧牛糞の凸凹草原 ネパール高地の羊と牛放牧凸凹斜面地 |
日本ではいまはほとんどが耕作放棄されて森に戻りつつあるが、
昔は日本でも幾重にも重なる段々畑や棚田の山村があったものだ。
ネパールでは規模が日本と比べ物にならないくらいに大きく高く広がる。
佐渡の千枚田は耕作棄されて、今は文化活動として保全中、
越後の山古志の棚田は中越大震災から機械を使って復旧したので直線的風景。
長岡市山古志の棚田 佐渡の千枚田 |
●道端のお休み所チョータラ
山の方では緑の森が消滅する方向だが、街に中には面白い緑の回復がある。
道の中や道ばたのところどころに1本か2本の独立する巨木が登場する。
常緑樹の先のとがった薄い葉のインドボダイジュや、
厚い長円形の葉で幹から気根を垂らしたベンガルボダイジュである。
その根元を石積みの基壇がぐるりとりまき、祠や共同水道があることもある。
これはチョータラといって道行く人々の共同の休憩所であるが、
結婚とか葬式とかの人生の節目になる時に個人が寄付してつくるそうだ。
その快い木陰にボンヤリと昼寝している老人たちもいれば、
共同水道には子どもや女たちが水汲みをしながら井戸端会議をしている。
喧騒な街のメインストリートでも田舎道でも、これはなかなか絵になる風景だ。
堂々たる菩提樹のチョータラ(ポカラにて) |
チョータラの下で屋台をかこんで朝ごはん(ポカラにて) |
カトマンヅ盆地のバクタプルには、パティという共同の休憩所が街角のそこかしこにある。チョータラとパティよく似ていて、うるおいある風景をもたらしている。
5.豊かな水・汚れる水
●豊かな水を使いこなせない
ネパールは北の高地に万年氷雪のヒマラヤに豊かな水源を持っている。
ここから南の低地に向かって山地内をうねうねと川が流れ下る。
最後は南端のタライ平原に溜まって水田地帯をつくり、
さらに南のインドへと流れていく。
その間に発電、灌漑、上水、下水などに使えばよいようなものだが、
水力発電所が足りなくて毎日停電、灌漑施設が足りなくて畑作ばかり、
カトマンヅのような大都市でも上水道が足りなくて断水、
下水道は普及していないから水の汚染も深刻になる。
豊かな水がありながら水不足と水汚染は途上国の悩みである。
カトマンヅ盆地の街にある共同水汲み場ダーラ |
カトマンズ盆地の街の中のところどころに共同水汲み場ダーラがある。
深さが10メートルほどのところに5~10メートル角の小広場があって、
周りの壁の一角に石で作った蛇口があり水がほとばしっている。
子どもや女たちが容器を用意して水汲みの順番待ちをしている。
道から階段を降りいって水を汲み、洗い物や洗濯をし、水を持ち帰る。
石やレンガで築き、彫刻もあるほれぼれする立派なデザインである。
地下の浅い帯水層から横に水をひきこむ大昔からの共同水汲み場だが、
もう枯れているダーラもあり、薄汚れた水がたまっている。
街角や裏町には浅い共同井戸があり、女たちが洗濯をする。
洗濯の流し水もまた井戸に戻っているから飲料水ではあるまい。
カトマンヅ市街には上水道はあるが、需要に供給が間に合わない。
今もダーラや井戸が生きているが、かなり汚染した水らしい。
バクタプルの路地の奥では共同井戸を囲んで洗濯中 |
人口の急増と汚水の地下浸透で、上水道にも汚染水が入り込んでくる。
わたしはカトマンヅのホテルの行く室で、うっかり歯磨きとうがいをして、
腹ぐあいが怪しくなったが、もっていた薬で強引に治した。
昔、ブラジルから帰国機中25時間の鼻つまみ難行苦行を思い出した。
こんな立派なダーラだが水質はどうだろうか |
飲んだ水の出て行く排水、下水道の施設はないらしい。
大都市でも下水道や浄化槽がないのは当たり前だが、
地方都市や農村にはどうも便所というものがないらしい。
牛や山羊の糞は肥料に再利用するが、人間の下肥は肥料にはしない。
それは宗教上か習慣か知らないが、そういう文化らしい。
日本では江戸の町家の糞尿は近郊農村の肥料として、
汲み取る農家が汲み取り代を支払っていたのだから、文化が違う。
旅のマイクロバスには便所はない。
長距離バス旅の途中にレストランなどあればよいが、そうもいかない。
時には岩陰や林に入るありさま、女性はそれなりの覚悟と用意が要る。
あるところの立派な公衆便所は裏をみたら谷にそのまま流している。
どうもカトマンズやポカラのような大都市の市街でもそうらしい。
便所はあっても下水道はない、自然浄化槽か、ほぼ垂れ流し。
●ヒンヅー教聖地の水の葬送
カトマンヅ盆地にヒンズー教の聖地パシュパティナート寺院がある。
この寺院の 貫くバグマティ川の岸辺には野外火葬場ガートがならぶ。
死を迎えたら国王もここで火葬 、その遺灰をこの川に流す。
その下流のカトマンヅ市街の中を流れ、さらに盆地をでて流れ流れて
末はインドのガンジス川を経てインド洋へと注ぐ。
人はこの世に生れて産湯に入り、生きるに水を摂り、死して水に還る。
今しも川岸で煙と炎をあげるのは葬送の儀式 |
親族が川の水で葬送の沐浴をする |
今は乾季だからバグマティ川の水流は細い。
雨季にはヒマラヤ氷河からの流水がこの川の両岸いっぱいに
波打ちながら白く青く渦巻く青海波となるだろう風景を想像する。
生者、死者、火煙、流水が両岸を扼するこの空間に渦巻けば、
それは生から死へ移行する天と地が一体となる風景が出現するだろう。
次の機会があるなら雨季に訪れたい。
●汚れる聖なる川
乾季で細い水流の川面には、人間のなれの果てかもしれないゴミと、
葬祭を飾るらしいプラスチックゴミが一緒になって汚れに汚れている。
その川の下流にあるカトマンヅ都心の橋の上から見ると、
川面も川原もものすごいゴミ、あの聖なる葬送の骨灰が流れるのか。
パシュパティナート寺院下流のカトマンズ都心部のバグマティ川はゴミだらけ |
川はゴミを捨て場になっているが、そう、日本もかつてはそうだった。
昔の日本は三尺流れて水清しといったが今はとてもそうはいえない。
人口が自然の許容量の範囲内だった頃は何とかなったのだった。
ネパールも人口急増に加えて観光客が多く環境問題がおきるだろう。
ネパール都市の環境問題は深刻になりそうだ。
(その3へつづく)
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