景観戯造今昔図鑑

景観戯造今昔図鑑:風景を復元してみた

制作:伊達美徳

自然でも都市でも景観は時とともに変化する。ある景観からかつては存在しなかった何かを取り除く復元遊びをする。それを今の姿と比べると、面白いことになる。そんな遊びのような、景観スタディのような、現実ではできないけど、画像ならばできる景観を戯れに造ってみる。題して景観戯造
日本のあちこちで拾った風景を戯造復元、GIFアニメで両方が3秒間隔ででてきます。どちらが現実でどちらが戯造したかわかりますか。あなたはどちらをお好きですか。

目 次

1・中央高速・富士山今昔図  2・韮崎・八ヶ岳今昔図
3・横浜・三渓園今昔図  4・東京・浜離宮庭園図その1 5・浜離宮今昔図その2
6・東京・小石川後楽園今昔図その1  7・小石川後楽園今昔図その2
8・東京・清澄庭園今昔図 9・
鎌倉・鶴岡八幡宮今昔図 10・鎌倉・若宮大路今昔図
11・富田林寺内町今昔図  12・国立・学園通り今昔図
13・京都岩倉・圓通寺庭園今昔図   
14・東京・日本橋今未来図


1●中央高速・富士山今昔図
 中央高速自動車道を走っていて、富士山が美しく見えています。
 さて、現実はどうか、串刺し田楽富士をお楽しみください。

2●韮崎・八ヶ岳今昔図
 美しい八ヶ岳のふもとの町・韮崎市内の田園地帯を走っていて発見した八ヶ岳風景。
 なかなか美しい風景で、韮崎の街の中からいつも眺めることができます。
 でも、現実はすごいことになっていますよ。ここに住む友人は、「この田舎町もにぎやかになってきて嬉しい」と言います、ごもっとも。

3●横浜・三渓園今昔図
 横浜市中区本牧にある三渓園は、横浜の豪商・原三渓がつくった名園で一般公開されています。庭園の要所に各地から移築してきた伝統的建物も多くあり、さすが豪商の庭です。
 東京湾を広く眺望する海岸段丘の上にあり、海への眺望を愛でて展望台もあります。この画像はそこからの眺めです。
 三渓さんはこんな風景をめでていたのかもしれないと、昔の風景を復元してみました。そして現実との比較は、実に興味深いものです。遠浅の海を埋め立てて産業コンビナートが視界を埋めました。

4●東京・浜離宮庭園今昔図(その1)
 東京都心部には大名や豪商たちが遊んだ庭園が今は公園として一般公開されています。時代の変化は庭園風景に大きな影響を与えています。 
 東京の新橋駅近くにある浜離宮庭園は、17世紀半ばに徳川将軍家の別邸「浜御殿」としてつくられたそうです。戦前は天皇家の「浜離宮」で、江戸の名庭園のひとつです。いまは公園となっていて誰でも入れるし、将軍が眺めた風景を愛でることができます。
 江戸の将軍や明治の皇室の人たちは、どんな公園の中で遊びながらどんな風景を眺めていたのでしょうかと気になりましたので、復元遊びをやってみました。広い空と緑と水の風景は、実にのどかなものです。
 でも現実はずいぶん違います。庭園は外の建物から借景される側になり、いわば貸景庭園になりました。無理矢理借景させられた風景は、ダイナミックと言おうか、うるさいと言おうか、比較してご覧ください。

5●東京・浜離宮庭園今昔図(その2)
 浜離宮庭園の中から、今度は東のほうを見ました。ほう、こちらは向うに東京湾があって、庭に海水が入るようになっていますから、広々としています。
 でも、これは昔の人たちが見ていた風景です。現実とは大きく違います。その違いをご覧ください。
6●東京・小石川後楽園今昔図(その1)
 東京ドームや遊園地のある後楽園、実は小石川後楽園といって江戸の大名庭園だったところの一部なのです。この庭園はあの有名な水戸の黄門様がつくったとか。今もその庭園がありますので入って見ましょう。
 池と緑と小さな空、ここに小宇宙を創っています。黄門さまが愛でたのでしょう。
 そして、現実はどうか、大きな白い山が出現、なんだか狭くなりました。二つの風景をご覧ください。


7●東京・小石川後楽園今昔図(その2)
 では、もうひとつ行楽年の庭の景色です。水戸黄門様が眺めた風景と、今の風景を比較してみましょう。同じ空間での遠近感の違いが妙です。


8●東京・清澄庭園今昔図
 東京の江東区にある清澄庭園は、元は18世紀半ばにつくられた大名庭園でした。19世紀末になって豪商の岩崎弥太郎が買い取り、岩崎家の庭園として整備しました。
 おおらかなものですが、実はこれは昔の姿を復元してみたものです。現実との違いをご覧ください。

9●鎌倉・鶴岡八幡宮今昔図
 鎌倉の鶴岡八幡宮の参道大石段脇に、髪振り乱す巨大老婆の如く立っていた大銀杏が、2010年3月に強風であっけなく根元からボキーン、ドターンと倒れてしまいました。
 この大銀杏は、鎌倉将軍の源実朝を暗殺犯・公暁が、この木の後ろ隠れて待ち構えていたという言い伝えがあるのですから、800歳以上でしょうか。
 八幡宮社殿の左半分を隠している大木がその大銀杏ですが、もしも大銀杏が立っていたら、このような風景です。昔撮影した画像を使って復元したのです。大銀杏があったときとなくなった今と、それぞれの風景を比較してご覧ください。

10●鎌倉・若宮大路今昔図
 鎌倉の中心街の中を貫通する若宮大路は、鎌倉の中心軸であり、シンボルとなる道路です。北に鶴岡八幡宮をランドマークとしてすえて、南の海まで街を一直線に貫通しています。12世紀末の源頼朝の都市計画です。
 その若宮大路の中ほどにある歩道橋から、八幡宮方面を見た写真です。建物を落ち着いた色に塗り替え、電線や標識類の一部を消してみました。現実と比較してご覧ください。

関連ページ:◆鎌倉A級観光ガイド:若宮大路の初夏(2010.05)


11●富田林・寺内町今昔図
 大阪府の富田林市の寺内町は、その名のごとくお寺を核として中世から計画的に形成された町です。今も歴史的な街割りや街並みのある街です。
 ご覧のようになかなか風情があるまちです。
 でもこれもウソ、現実と比べてごらんください。


12●国立・学園通り今昔図
 国立市のJR国立駅前から、南にまっすぐに伸びる学園通りがあります。銀杏並木が美しい道で、通り沿いにたくさんの学校があるのでこの名前です。
 この画像は駅のほう、つまり北に向いて撮っています。銀杏並木の高さに建物の高さを法的に制限しています。でも、現実は並木の高さを大きく抜きんでる共同住宅ビルが建っています。現実と比較して見てください。


13●京都岩倉・円通寺庭園今昔図
 日本庭園は外の風景をとり入れる借景をします。雄大な山並みと庭園とを一体にした風景を愛でます。その借景庭園ならば、なんといっても京都岩倉円通寺庭園でしょう。京都岩倉にある円通寺の庭園は、比叡山の借景で有名な名園です。
 17世紀はじめに後水尾上皇の作庭と伝えられます。作庭当時は遠景として比叡山を生け捕って、中景には農村風景を見せて、のどかな借景庭園だったのでしょう。
 後水尾上皇はどんな庭園を作り、どんな風景を愛でたのでしょうか。それを見てみたいと考えて、こんな風景を復元してみました。
 軒の線と縁先と柱で額縁をつくっていますね。比叡の山並みは背景幕です。中景の京都の街は想像でつくりましたが、もちろん17世紀とはおおいに違います。こんなおおらかな庭園であったのかと、ちょっと感銘をもって思います。
 そういえば、上皇はこの後にすぐ修学院離宮をつくっています。あのおおらかな庭つくりの準備だったのでしょうか。
 でも、実は、今の風景はこれとは大きく違うのです。

関連ページ:◆京都岩倉:怨念の景観帝国ー円通寺と後水尾上皇(2009)

14●東京・日本橋今未来図
 東京の繁華街の中にある日本橋は、1911年にできた洋風デザインの石造の橋梁です。お江戸日本橋は、京都から東への東海道の終点であり、江戸から西への旅の出発点でした。
 これは今の風景から、高速道路を取り除いてみる戯造風景です。もっとも、この風景も今どんどん変わりつつあります。
関連ページ:●景観復元に思想を持て-ディズニーランド化する都市景観(2006)(PDF)

追記20210813:日本橋の高架橋を本当に撤去する事業が始まりました。やればできるのですねえ、でもご覧の通り、撤去しても大した景観が現れるわけではない、むしろ高速道路が景観を引き締めている感もある。そう、撤去しないでここだけを保全してほしい感もある、あの高度成長前期の高揚する都市の歴史的建造物としての価値もあるから)

4 件のコメント:

大渡剛弘 さんのコメント...

美しい景観の暴力的な破壊がいかにすさまじいかがよくわかりますね。

良き景観に対する評価と意識の不足、良き景観を維持していくための制度が圧倒的に足りないのですね。

開発が進み経済的に伸びていくことが至上課題で、既存の良き景観を維持し保全していく事などないがしろにされてきた結果がこれらの写真でもよくわかります。

そのくせ素晴らしい景観を求めて、スイスなどに大金をはたいて行く。その前に、なぜ故郷の景観向上を目指さないのでしょうかね。

まちもり散人=伊達美徳 さんのコメント...

大渡さん 20210813 伊達美徳より
コメント感謝します。
わたしはピンピンコロナ待ち人生をやっております。
FBでときどき動静拝見、お元気な様子に嬉しい、
ほかに元気な稲地さんをたまに見るけど、
たまに見ていた岩岡さんは病とかで見えなくなった。
どうぞお元気で、。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
◆伊達の眼鏡ブログ https://datey.blogspot.com/
┃ 8月2日号「緑の巨人宮脇昭氏逝く、オマージュを述べて合掌」
◆まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
◆伊達美徳Eメール dateyg@gmail.com
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大渡剛弘 さんのコメント...

伊逹様
 岩岡さんは、残念ながら今年2021年6月8日に逝去されました。享年80才でした。家族だけで密葬されたそうです。私が1989年平成元年にRIA九州支社長を引き継ぐまで九州支社社長を務めておられました。
 話はかわりますが、このごろ、かつての同僚村田憲治さん(福岡市在住、私と同い年の77才)とメールで連句(歌仙)を愉しんでおります。コロナ禍で蟄居に近いこの頃、いい暇つぶしです。大渡

まちもり散人=伊達美徳 さんのコメント...

大渡さん 20210814 伊達美徳より

えっ、岩岡さんは他界ですか、合掌。それにしても逃げ足早すぎる。
近藤正一さん、川崎浩さん、北島さんと近頃次々と先を越されています。
村田憲ちゃん健在とは嬉しい、ともに歌仙を巻くとは優雅なこと、
わたしはこのごろ一人で狂歌に凝っています。
そちらは豪雨とてお見舞いして一首。

 狂歌<線状降水帯>
  頭は線尾は帯とは鵺なれや まことは龍状降雨域かも

ではお元気で。草々