景観と財産権のはざまになにがある?
ー国立と鎌倉-
伊達美徳
(2002年)
●国立の大学通りで
「景観と財産権、綱引き/東京・国立マンション紛争/住民・行政と業者が衝突」との新聞見出しが踊っている(朝日新聞2002年4月30日朝刊)。
東京都国立市は、一橋大学のある学園都市である。そのJR国立駅前の大学通りは、桜や銀杏の並木が素晴らしい。この道に面して最近、高さ55メートルで建物幅もかなり長い集合住宅(いわゆるマンション)が建ち上がった。
これが建つだいぶ前から、市民と事業者の間で、並木より高さを低くせよ、いやそれでは採算が合わないと、紛争があり話題になっていた。
その市民運動のリーダーの女性が規制派市長当選するや、事業者は建築確認申請の駆け込み、市長は高さ規制の地区計画を制定、市民と事業者両者訴訟合戦と、有名な争いになっている。
慣習的に既に高さ制限ありとする論、事業者の財産権の侵害という論、法手続き論争も訴訟によって勝ち負けが分かれるし、なんだかよくわからない。
私は現地に行ったこともないが、もう売り出しているらしい。
●鎌倉の若宮大路で
他所のことながら気になるのは、私の住んでいる鎌倉市にも、そのようなことが起きないという保障はないからである。八幡宮からまっすぐに由比ガ浜まで延びる若宮大路は、まさに国立の大学とおりと同じで、鎌倉の中では一番広い道だから、いつ高層マンションがたってもおかしくないのである。
今の若宮大路の沿道にたくさんあるの建物は、せいぜい4階か5階建てである。だから街を歩けば緑の山並みが見えて、鎌倉の街のエリアをはっきり認識することができる。
しかし、これは法律や条例でそう決めているのではない。いわゆる行政の指導要綱で、この街で建築する地主や事業者たちに高さを低くするように、お願いをしてきているからである。
そして市民も沿道の土地建物所有者も、今はそれがよいこととしているのである。
ところでさて、鎌倉にも国立のようによそから誰かやってきて、若宮大路沿いの土地を買って、法律違反じゃないから55メートルの高さのマンション建てるぞと、真正面から申請を出したらどうなるか。
国立と全く同じ紛争が起きるだろう。このあたりでは、4階建てでもあちこちで騒ぎが起きているだから、。
●財産権の侵害はあったのか
国立に話を戻すと、さてどちらが正しいか、と言う問題でないところが苦しい。
事業者は、後から規制が追いかけてきて、財産権の侵害だという。法的に可能だからとて、その土地を高度利用開発をする前提の価値に対応する価額で買いとり、その投資額の回収をすることが自己の責任でない要因によって不可能となれば侵害であろう。
その土地を売った方は、今、合併問題のある銀行だったと聞いた。買った事業者が、投資回収できないようになると、買い戻し特約でもあるのだろうか?
売るほうも買うほうも、ここでは高度利用開発が容易に可能であると、善意のもとでの取引として、紛争は全く予期されないことだったのだろうか?
これがもし鎌倉の若宮大路であれば、大紛争となることは目に見えている。善意の第三者の取引と見るには相当に無理が生じるだろう。
ここで気になるのは、土地の前の所有者はもちろんのこと、くだんの開発事業者も、その財産権が他に移転してしまうことである。移転した先、つまり集合住宅を買った人たちの財産権については、どう考えればよいのだろうか?
マンションを買った人たちも財産権の侵害を受けたのだろうか、あるとすればそれは誰から受けたのだろうか?
●財産価値は下がったのか上がったのか
景観を財産と見るとして、これが建ったことによりその土地建物の価値が低下したとするならば、集合住宅を買った人たちは価値の低下した財産物権を得たことになるが、そのことと開発事業者の財産権との関係は、どう考えればよいのだろうか?
結果的に財産価値を下げたとすれば、その周辺地区の財産価値も下げたことになるが、それはどう考えればよいのか?
開発事業者から言えば、高層建築ができたことにより、この地域の財産価値が高まったと解釈するのだろうか?
財産権とは、財産の価値を保全する権利あるいは財産の価値をそれ相当に処分する権利のことなのだろうか?
また、この建物の建築確認済みの後におきた地区計画の制定により、今後は高い建物の建築はできなくなった。この建物は建築基準法の言うところの既存不適格建築物となり、建て替え時には財産縮小を余儀なくされる。
このことは、もしも開発事業者がこの建物をこれからも持ちつづければ、取得時の財産価値が下がったと解釈して財産権の侵害なのか?
それとも、その規制にも関わらず高度利用ができたので、より財産価値を高めたことになるのだろうか?
一方、建て替え時には縮小することを知りながら取得した者にはとっては、どう考えればよいのだろうか?
素朴に考えて、なんだかよくわからないことだらけである。とにかく分かったことは、写真を見て大学通りの風景がいびつになったらしいことである。(20020505)
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