2010年3月
伊達 美徳
●コンペの経緯
東北新幹線「新白河駅」前に、広い空き地がある。ここを所有する地元企業・三金興業が、何かを建設したいのだが何が良いだろうか、というアイデアを、2010年3月末締切で募集してい ることを、ウェブサーフィンしていて見つけた。
その立地環境は、白河市の歴史的な中心地ではないが、新幹線ができて広域ネットワークにつながり、市街化が進む。
コンペの主催者は、地元の建設業を中心として、不動産業やホテル業を経営し、福祉関係の事業もしていることがウェブでわかった。
土地は決まっているが、ここでなにをするかという事業企画を募集しているようだ。建築設計コンペの前の段階であって、ここで募集したアイデアを取り込んで事業企画を立てて、それにより建築コンペ スキームを決めるようだ。
主催者の基本的な考えやその当選案の活かし方について曖昧なところがあるが、建築のための事業企画ならば面白い。
このところ中越の山村に米作りなどでたびたび行っていて、街と里を両方とも生かす地域づくりはどうすれば良いか 、地方都市の中心部と山村を結んでの新たな地域政策のあり方がありそうだと、考えこんでいた。
そこで、その具体的な事業策を、この新白河駅前計画をモデルとして考えて、それをコンペに提案してみようと思いついた。
白河の周辺地域には過疎の山村が多くあるに違いないし、白河の市街地も問題があるに違いない。それらは全国地方都市に共通の問題だろう。
コンペをやるという事業者の意気込みを考えると、提案してみる意義がありそうだ。
以下は、2010年3月末に提出したわたしの提案書である。この提案は、アドバイザー特別賞(賞状、賞金6万円、賞品=白河だるま)に入選した。
・参照http://www.sankinkk.co.jp/ipan-koukai-shinsa-keka.pdf
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「現代の白河の関」コンペ・アイデアと名称提案書
●提案テーマ 名称・呼称
中山間地域からの住民の撤退と生活再建を支援し、撤退跡地域の営農・営林継承及び自然環境再生を行なうためのソーシャルビジネスを起業し、その活動拠点となる施設を建設し運営することを提案する。
・テーマは「さとまち両全プロジェクト」
・施設の名称は「白河さとまち館」
●提案の動機
わたし(提案者)は地域プランナーとして、市街地整備、地域施設計画、産業政策と都市政策の地域内連携計画などの仕事にながらく携ってきました。
2005年からその前年に中越地震で被災したある山里の復興支援に、所属するNPOの活動として通うようになりました。盛時には600人近くいたが今は60戸、90人に満たない超高齢の小集落です。
棚田の米作でそれなりに豊かながらも、高齢化、後継者は不在、介護と医療の困難、そして街へ去らざるをえない現実、そうして地震に背中を押されるように集落は自然に還っていく姿を見ています。
しかし、その振興・持続を支援していても限界は見えています。他の震災集落を訪ねましたが、震災は山里消滅を早めた現象であって、日本の中山間地の限界化は一般的な現象であると分かりました。
中山間地振興の政策は数多くあり、成功事例が伝えられますが、それは日本の中山間地集落の数からみれば僅かな特殊例に過ぎません。消え行きつつある集落は数多いし、現に消えた集落も数多く、里人は超高齢化してから不慣れな街の生活に賭けてやむをえず集落を去っています。
この現代の社会問題でありながら、なぜ中山間地政策は去り行く人を支援しないのでしょうか。なにゆえ振興策ばかりで撤退策は不在なのでしょうか。
わたしは考え方を180度転換しました。今、振興策と対の関係で必要なのは積極的な撤退策です。
それはもちろん住民たちはハッピーに里を去り、撤退跡の土地は適切に利用する政策でなければなりません。
ところが、政治・行政の立場では、地域の消滅策は今のところ悪の政策であり、実は現場では分っているのですが、それを言うことはできません。
今、日本のどこにでもある限界集落にその撤退支援の手を差し伸べることができるのは、官でなければ民しかない、とすればそれは誰でしょうか。
本コンペ主催者である三金興業株式会社のような地域密着型企業ならば、まずはソーシャルビジネスとしてこれを行なうことが可能であると期待して、この提案をいたします。
・参照
地域のしまい方を考えるhttps://sites.google.com/site/machimorig0/tiiki-tojikata
伝統文化を活かす地域再生https://sites.google.com/site/dateyg/dentobunka
●事業企画提案
1.提案の要点
本格的な人口減少時代にはいった日本は、全国各地において縮小し消滅するコミュニティが顕在化する。特に地理的に不便な限界集落から人々は去り、コミュニティと食糧生産の場は消えていくだろう。それにもかかわらず、今は去りゆく人々と去った跡への政策的対応が手薄い。
そこで、村里からの住民の撤退支援、撤退後の生活支援、撤退跡の集落山林等の適切な運営管理支援をする「里街両全」のためのソーシャルビジネス「さとまち事業」を提案する。
さとまち事業は、次のような事業を行なう。
・里じまい 限界集落等の村里の住民の村里撤退と、撤退先の街での生活再建を支援する。
・緑おこし 里じまい事業による撤退跡地区におけり営農あるいは営林、自然植生林の再生等の活動を起こし、支援する。
・さとまち交流 上記2事業のために、村里と市街の間の人と物の流通・交流を支援する。
新白河駅前の計画地には、さとまち事業を行なうためのセンターとなる施設「さとまち館」(仮称:名称提案に応募)を建設する。
さとまち館の施設構成の概略は、滞在・生活の場(賃貸共同住宅等)、人と情報の交流の場(事務所、サロン等)、物資流通の場(商店、飲食店等)である。
2.提案の背景―限界集落からの積極撤退支援が必要
わたくし(提案者)は地域プランナーとして、市街地再整備、産業政策と都市政策の地域内連携策、地域コミュニティー施設計画等の仕事にながらく携ってきた。
2005年からNPO活動として中越地震で被災したある村里の復興支援に仲間たちと通っている。茅葺民家を取得して生活しつつ、住民・行政・大学と協同して地域の持続を模索している。
その村里は、震災で一時は全戸避難したが、今は復旧が完了して8割余が戻っている。現在の居住者約80人(最盛期1960年577人)、43世帯(同101戸)、住民の約3分の2が65歳以上の典型的な限界集落である。棚田での付加価値の高い米つくりで、里人はそれなりに豊かである。
しかし、寄る高齢化には勝てずに営農が困難になり、後継者がいない、医療や介護には不便な地域であることから、しだいに街に移転していく。家屋は倒壊し耕作放棄棚田は雑草が生い茂り、集落は自然の森へと還って行きつつある。震災の大きかったところは特にそれが進む。
わたしたちは震災復興で村里の持続を支援しているが、地域持続の限界は見えている。他の震災集落などを訪ねたが、震災は村里消滅スピードを早めただけの現象であって、実は日本のどこの村里でも起きる可能性のある一般現象と分かった。
日本の人口減少加速で、限界集落はそれ以上に加速するが、約8000近くある限界集落はどうなっていくか。中山間地振興の政策は数多くあって成功事例が伝えられるが、それは日本の村里の数からみれば僅かな特殊例に過ぎないはずだ。多くはひっそりと限界集落へ進み消滅に向う。
国交省調査では99年から7年間で191集落が消滅、更に近い将来約2700集落の消滅を予想する。しかし、実際に現在の存続集落内を広く歩いてみると、偏在的に空き家化が進んでいて、統計に出る行政単位よりも小さな集落内消滅が進行している。
その消滅による問題として、農林業撤退で保水力低下と森林荒廃がよく言われる。しかし現実には日本の緑の回復力は高く、自然遷移で植生復元は進み、自然の側の問題は少ない。
わたしが考える問題は、高齢化、跡継ぎ不在、不便な里暮らし、罹病・介護、コミュニティと民俗文化の喪失、里から街へ撤退、撤退跡地の荒廃、食糧生産の低下、高齢後の転居先での不慣れな街暮らしなどの、一連のマイナススパイラル現象、つまり人間が生きていく文化の側の問題である。
これに対応する現実の施策は、振興策はマイナスをプラスに変えようとするが、現実に人がいなくなる村里では意味を失ってきているし、新住民を入れようとする2地域居住策は地域間競争だから勝つところは限られる。
福祉政策はマイナスが行き着く先のセーフティネット策にすぎない。その二つの間には大きなギャップがあって、多くの里人が落ち込んでいるようだ。
現実を見るといまこそ必要なのは、去り行く人を後顧の憂いなく将来に希望を抱いて去らしめる政策だ。
政治・行政の立場では今のところ、地域の消滅策は負の政策とみなされ、現場では分っていても言えないのだろうと、わたしは推測する。
そこで発想を180度転換する必要があるとわたしは考えた。
いずれ撤退せざるを得ないならば、いまや積極的に撤退する方法を実行すべき時代になっているのだ(もっとも、これは復興支援仲間内ではまだ少数意見である)。
振興策はもちろん必要であるが、今、それと対の関係で必要なのは積極的な撤退策である。それは住民たちがハッピーに村里を去って街に移る施策と、その撤退跡の村里を適切な再利用あるいは自然に還す施策とが、セットになっているものである。
行政や政治の側からできないならば、これは民間のソーシャルビジネスの出番である。
3.提案する各事業アイデア
(1)里じまい
村里から撤退する住民への生活支援ビジネスである。これが最も基礎となる事業であり、他の2事業とセットでおこなう。
ソーシャルビジネスを行なう「さとまち社」(仮称。本事業のために設立する会社もしくはNPO法人)は、特定の村里(白河地域の限界集落でその一部や複数地区もありうる。以下「協定村里」という)の住民たちと「さとまち事業」を行う協定を結ぶ。
協定村里住民は、さとまち社の運営の新白河駅前の「さとまち館」の賃貸共同住宅を優先的に賃借あるいは一時使用することができる。
協定村里住民のさとまち館住宅の利用方法は、住民が持つ現自宅と共に2つ目の住宅として冬季積雪期を暮らす利用(2地域居住)、さとまち館に居を移して通勤営農を行なう利用、通院や通学などの一定期間の滞在利用、ホテル的な一時利用などのいろいろなパターンがありうるだろう。
さとまち社は、協定村里住民に対して共同住宅を賃貸することに対応して、必要に応じてその土地・家屋等を買収あるいは賃借または管理契約をする。これは、後に述べる緑おこし・さとまち交流を行なうビジネス資源となる。
白河地域の居住需要傾向が戸建志向が強いならば、街での他の戸建住宅等を斡旋する。この街に移る村里住民用の戸建住宅地は、ある一定範囲のエリアにあることが望ましい。
当初はさとまち館住宅に入居し、街の生活に慣れて戸建住宅に移る場合もあるだろうし、そのまま賃借利用を継続する人もいるだろう。
いずれにせよ、震災避難のような強制移住ではないのだから、生活圏の移行をゆるやかに進める。さとまち館に設ける賃貸共同住宅は、この移行の中間支援施設の役割を持っている。
ここで重要なことは、原則として集落単位で里じまいを進め、里人の移行先をひとつの賃貸共同住宅ビルあるいは一定エリアとして、村里コミュニティを移行先の街で再現継続することにある。これにより村里の伝統民俗文化も場所を変えて継承される。
本来ならばこの里じまいは20年程度のスパンでゆるやかに進めるものである。村里住民が遅くとも60代前半から始め、里と街の生活の両方を続けていれば、高齢化にともない街の生活の比重を上げていって円滑に移行できる。また、それくらいの長期スパンならばその間に後継者を発掘することもできるだろう。
実は、中越の村里では、現にそのような生活をしている里人が多くいる。あるいは以前から街に住んで通勤農業をしている人も多い。一方で、それをやりたくても諸しがらみや情報不足などで、できない人も多いのも現実ある。
その現実をヒントにして、そこに建設業・不動産業・農業あるいは福祉事業を連携して支援するソーシャルビジネスがあると、わたしは考えたのである。
里じまいだけでは単なる不動産ビジネスだが、次の2事業と併せて行なうことでソーシャルビジネスの意義がある。
(2)緑おこし
里人が撤退した村里における跡地等において、農作維持支援と緑環境再生支援のビジネスである。
里じまいによって村里から街に居を移行した住民と、もとの村差と地区との関係は、営農を続ける場合、離農する場合があり、その間にはいろいろな場合がありうる。
営農を継続する場合は、さとまち社が「緑おこし」の事業としてその支援を行なう。例えば通勤農業の送迎、繁忙期の人材供給、営農器具機械の管理、収穫物の販路開拓等の支援方法があるだろう。集落単位での支援が効率が良い。これは居を移さない住民にも対応することができよう。
離農する場合は、さとまち社はその跡地等を営農の継承に適するか不適か判断の上で、土地家屋を取得、賃借あるいは管理受託する。営農継承の方法は、さとまち社が直接に営農する方法もあるだろうし、さとまち交流事業によって新たな営農継承者を入れる斡旋を行なう場合もある。
営農は困難だが林道として生かすことができる農道がある農地は、営林地としてスギ・ヒノキ等の植林をして生産林に移行させる。そのほかの田畑地は、その土地に適した樹種(潜在自然植生種)の苗木植林を行なって自然林に早く還す。
各地の消え行く山里では、営農放棄地がはじめは雑草におおわれ、次はパイオニア種の樹木が育ち、それが生態の摂理にしたがって自然遷移を進めて極相の自然林へと移行しつつある。
白河周辺地域では極相林はブナ林であろう。国土の保全のために風土に適した安定した自然林にできるだけ早く還すには、植生学者の宮脇昭氏が指導実践する「どんぐり作戦」方式がある。どんぐりから育てた小さな苗木を密に植える。5年もすれば自然林は育ち人手は必要ない。
(3)さとまち交流
村里と都会との間で人と物の交流と流通を支援するビジネスであり、さとまち社が確保した協定村里における営農に、さとまち館を起点にして、街から里に人お送り込み、里の産物を街に流通する事業を行なう。
新たな営農継承に新規参入する希望者を広く募って、営農研修を行ない、撤退跡の住家や農地山林などを斡旋して、新規参入を誘導する。里じまいと逆方向の不動産ビジネスでもある。営農だけでなく晴耕雨読の休養滞在型の観光事業もできる。
協定村里でのレクリエーション的なあるいはボランティア的な一時営農体験や、街の住民の参加型イベントとしての「どんぐり作戦」などの緑おこし事業を、さとまち社が主催して行なう。
協定村里での産物を「さとまち館」の店舗で販売するとともに、産地直送販売のルーと開拓などで、緑おこしをバックアップする。
4.三金興業グループだからこそできるソーシャルビジネス
この事業は、今は、民間のソーシャルビジネスでなければ始められそうもない状況にある。そして地域に根差している企業でなければ難しいであろう。その点で、本コンペの主催者である三金興業はこれに適していると、わたし(提案者)は考えたのである。
更に、この提案内容と三金興業グループの行なう事業内容とを照合すると、次のようにこれも適していることが分かった。
基本となる建設業については、「建設帰農」といわれて農業参入は現今の農業政策の有力な方向となりつつある。撤退する里人のための街なか住宅の供給、村里における農業基盤整備の土木工事、再利用家屋のリノベーション改修等もある。
緑おこしにおける新規営農参入には、そこで営農をしていた里人と連携すれば固有の営農ノウハウを継承することができる。
村里住民の街への移行に関しては不動産業ノウハウが役に立つ。福祉介護事業等の関連事業は、街での生活支援に対応することができる。もうひとつの関連事業のホテル業は、「さとまち館」の賃貸共同住宅の柔軟な運営に生かすことができる。たとえば短期滞在者へのリネンやケータリング等のホテルサービスを行なう。あるいは「緑おこし事業」イベントにおける、ボランティア活動の宿泊の場としても活用することができよう。
具体的な経営計画までも提案する能力をわたしは持っていないが、これら事業の一部には公的な制度助成の導入もありうるので、ぜひソーシャルビジネスとしての実施を検討されたい。
最後にひとこと、本提案が農村の安楽死や敗戦処理策としてとらえられるような軽々なる誤解を招くことのないように願っている。以上
(2010年3月)
付記 2014/06/28
このコンペからもう4年もたつが、その後は何も動いていないらしい。いったい、何があったのだろうか。直後のリーマンショックで主催企業が潰れたのだろうか?
参照⇒◆「中山間地論」(まちもり通信:伊達美徳)
◆「まちもり通信」(「伊達美徳)
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