野口英世記念館にみる建築の文化的保存
伊達美徳
2007年10月
千円札の顔は野口英世である。野口英世といえば、わが小学生の頃に読んだ偉人伝に登場人物であり、猪苗代の貧農のせがれの出世物語である。
大学同期生の友人たちと春秋恒例の5日間100キロウォークをやっているが、2007年春は会津である。会津田島を出発して大内宿ー会津若松ー喜多方ー裏磐梯から猪苗代へ至る。
猪苗代と言えば、わが年代の者には野口英世である。「野口英世記念館等見学」に、なんだかどうしても行ってみよう、という気分になった。
2日目と3日目がいずれも実は30キロ余もあって、わが能力を超えたウォーク距離となり、心底へたばった。1日20キロを越えるとたんにガタが来る。左足に2箇所も靴擦れができて痛いので、もう4日目以後はコースの大部分はバスに乗って、ウォークは1日4キロ程度にした。
最後の5日目は宿からバスで猪苗代駅へ、そこから猪苗代湖岸をぶらぶら約4キロ歩いて、野口英世記念館に着いた。左に湖を、右に磐梯山を見つつ、湖岸の遊歩道はのどかな風景であったが、途中で出会ったのは二人だけ。
野口英世記念館については、私はある種の期待があった。それは生家の建物は貧農の小さな家屋でありながら、地域や縁ある人々が大事に保存してきている様子を、この目で見て、建築保存のもうひとつの形を確認したかったのである。
通常の建築の保存は、それが古くて、保存がよくて、時代の典型であり、貴重であり、美しいというようなハードウェアの物理的な視点が基本となっている。そこにどのような生活の歴史があったかは後回しなのである。
だから、貧農の茅葺屋根の小さな家は、ハードウェアとしての建築的には価値がないとしながらも、ソフトウェアとしての野口英世にゆかりがあるという視点での保存はどのようにされているのか興味があった。
結論を先に言えば、野口英世の出生の家は、期待しただけのことはあった。ただし、その周りの雰囲気やら風景にはかなりがっかりした。
予想したとおりに、建築としての文化財指定も登録もなされていないようだが、その保存は文化財としてしっかりと行われていた。建築の世界特有の保存の論理は、普通の世のなかではどうでも良いことであるようだ。
驚きかつ感激もしたのは、、小さな茅葺屋根の上空に、巨大な鞘堂とも言うべき鉄骨大屋根を架けていることだ。しかもそのデザインは、よく言えばミース・ファン・デル・ローエのデザインのようなシンプルでプロポーションが良い、悪く言えばガソリンスタンドみたいなのである。
これによって、その周りにある野口英世ランドとでもいうべき、沿道の低俗な風景を圧倒し、野口生家をシンボライズすることに一面では成功したのである。
もっとも、その余りに近代建築デザインのために、かつての茅葺屋根の街並みを忘却させてしまった。
巨大な鉄骨フレームの下の素朴な茅葺農家、そこに込められた地域の人々の文化的情念、その純粋な情念に群がる商業主義の雑駁な風景、その対立は一種痛快といってもよい風景であった。
建築の保存とは、物理的な視点のみで考えるべきでないと、ある予想した回答を得た会津100キロウォークのわがハッピーエンドであった。(20070603、20071006一部修正)
0 件のコメント:
コメントを投稿