伊達真直生涯年表 (青太字はリンクあり、細青字は内地兵役、細茶字は中国兵役) 2021/7/15修正 |
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年 |
歳 |
伊達真直とその周辺における出来事(根拠資料) |
関連ある世の事件 |
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1865 |
慶2 |
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3.18伊達鹿太郎誕生(戸籍謄本) 11.御前神社焼失仮社殿(村社建立御願) |
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1877 |
明10 |
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5.御前神社仮社殿破損につき新社殿の建築を |
1874徴兵令 |
1895 |
明28 |
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伊達鹿太郎が |
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1901 |
明34 |
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9.23伊達鹿太郎御前神社社掌、35年高梁税務署勤務(故伊達鹿太郎略歴) |
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1910 |
明43 |
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1.1田中さめ誕生:川上郡落合村大字近似1532( 戸籍謄本) |
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1913 |
大2 |
3 |
12.25御前町16番地真柴多津と養子縁組(戸籍謄本) |
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1916 |
大5 |
6 |
6.30伊達與祢死去(戸籍謄本) |
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1917 |
大6 |
5 |
2.27真柴多津との養子縁組を協議離縁(戸籍謄本) 3.24高梁町立高梁尋常高等小学校附設高梁幼稚園を卒園(保育証書) |
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1923 |
大12 |
12 |
3.31高梁町立高梁尋常小学校を卒業(卒業証書) |
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1924 |
大13 |
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3.31田中さめ高梁尋常高等小学校高等科1年卒業(田中さめ略歴) |
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1925 |
大14 |
14 |
3.31高梁町立高梁尋常高等小学校2年卒業(卒業証書) |
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1927 |
昭2 |
16 |
8.27 |
5.第1次山東出兵 |
1928 |
昭3 |
17 |
3.30田中さめ 5.神社の社務所と住宅を改築、総経費2,058円87銭9厘、寄付金・基本財産支出金計1,524円90銭、差引不足額525円97銭9厘、伊達鹿太郎が村上治太郎より5.15日付500円を借入、弁済期限翌年2月20日、月利10円につき10銭(金員借用証書、御前神社宮司辞任に関する理由書) |
6.張作霖爆殺事件 |
1929 |
昭4 |
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3.31田中さめ東京共立女子専門学校修業(田中さめ略歴) |
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1930 |
昭5 |
19 20 |
3.田中さめ東京・ 3.5岡山県高梁中学校卒業(卒業証書)、8.28岡山県神職会講習国典科・祭典科を修了、9.5岡山県の行う社司社掌試験に合格(修了証書 合格通知) |
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1931 |
昭6 |
20 21 |
1.10歩兵二等卒、現役兵として岡山歩兵第十連隊第二中隊に入隊(軍履歴書、自筆履歴書)、初年兵として毎日訓練、5.27痔にて入院、手術、治療、6.24退院、9.1食中毒にて入院、治療、9.13退院(初年兵日誌)、11.10勅令272号により歩兵二等兵(軍履歴書)、11.29父鹿太郎が脳溢血にて倒れ、危篤の報に驚いて帰宅、眠りこける父を見る(初年兵日誌)、●参照「父の十五年戦争} 12.1伊達鹿太郎死去享年66歳 12.3神社葬、12.4寿覚院にて納骨式(伊達源実、真直名義葬儀通知書類)、 12.1陸軍歩兵1等兵(軍履歴書)、12.17~12.26歩兵第十連隊において満州事変内国戦務に従事(軍履歴書、自筆履歴書) 12.御前神社氏子総代連名で鹿太郎死亡により後継社掌として真直の除隊願を岡山連隊区司令官に提出(現役兵除隊願) |
9.満州事変(柳条湖事件)、10.関東軍が錦州爆撃 |
1932 |
昭7 |
21 |
2.2~33.2.1歩兵第10連隊において満州事変内国戦務に従事(軍履歴書)、4.9留守隊第11中隊に編入(自筆履歴書)、第5内務班に所属(写真)、6.~8.31姫路にて通信合同教育(記念写真) |
1.第1次上海事変、3.満州国建国、5.五・一五事件、9.満州国承認、 |
1933 |
昭8 |
23 |
1.30派遣隊第11中隊に編入(自筆履歴書)、出発前外泊にて帰郷(写真)、満州事変へ、2.1満州派遣軍第10連隊第11中隊通信班として、熱河作戦に参加のため岡山駅を
千名余が出発し広島着、2.2宇品港 で宇品丸(2218t)乗船、 2.4釜山上陸、鉄道で出発、
大邱到着、2.5水原、京城、を通過、新幕に到着し整備・編成して出発、平壌に到着して歓送され出発、2.6鴨緑江を渡り満州の安東県に入り草河口、奉天通過、2.7新京特別市着、
吹雪の中を行軍して南領兵営着、2.10通信班として前線に保線に向かい敵襲を受けて同郷の通信兵が目の前で戦死、2.13敦河さして北上、2.21敦化駅出発して奉天、2.22奉天 着、奉天警備隊兵舎に入る、2.23混成第33旅団に編成されて待機、3.1奉天発熱河 討伐に出発、綏中に至り城外の廃寺に宿営、旅団司令部に電話線を架設、3.5綏中を出発して行軍、 小城子に仮泊、3.6行軍中に戦闘で通信班も軽機にて応戦、山道にて行軍難航、3.7狼頭嶺を越して上下道房子にて宿営、3.8大土嶺の峠を越えて梨樹鎮に宿営、3.9満州国境を越えて河北省乾興鎮 の商家に宿営、3.11行軍して大坐嵐、3.12双山子を過ぎて長城まで2里半の馬圏子、3.13食糧欠乏となり民家貯蔵芋を挑発して食う、3.15長城の麓まで行軍し戦闘準備、山下の連隊本部と第一線1大隊の間に通信網を張る、3.16中国第19路軍と戦闘、砲弾行き交う 中を電線を延ばす、界嶺口を占領、界領定家に引き上げ、3.17引き上げて双子山にて昼食中に敵の逆襲とてまた界嶺定家に引き返す、3.18敵前にて本隊到着を待つ、激戦中、3.19界嶺定家から乞う足して界定上へ、3.20本部の直接警備、3.21民家の芋を徴発、3.23第2回総攻撃、3.24進撃するも国境を越えての占領はできないので界嶺上に帰着、3.25宿舎を敵に襲撃されたが撃退、旅団と連隊間の断線を応急修理に出る、3.26長城国境突破の名くだり北支那深く進撃開始、4.9界領定家の難関を越え界嶺口の関門にて午前零時より総攻撃開始、4.11まで戦闘、 長城に架線をする、4.13敵兵退却、台頭営に至り2泊、4.16撫城に入城、4.25熱河作戦終了、山海関に入る、4.26山海関出発、4.29敦化駐屯地に帰営、6.24新京出発、6.25間島局子街、12.15内地帰還のため局子街出発、12,18関東州界通過、12.19大連港出発、12.24宇品港上陸、12.26屯営帰着、歩兵第十連
隊留守隊第二中隊に編入、12,26歩兵上等兵、12.27現役延期解止除隊、12.27予備役編入(軍履歴書、自筆履歴書、渡満状況日記、熱河討伐奮闘日記) |
1.日華両軍が山海関で衝突、2.熱河作戦開始、3.国際連盟脱退、 5.塘沽停戦協定 |
1934 |
昭9 |
23 |
1.8 |
3.満州国帝政
、ワシントン軍縮条約破棄、9.室戸台風で高梁大水害、11.翼東防共自治委員会委員会成立、12.翼察政務委員会成立 |
1935 |
昭10 |
24 |
2.19英子誕生(自筆履歴書、戸籍) 11.28八重籬神社社掌依願免職(辞令) |
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1936 |
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2.
二・二六事件、12.西安事件 |
1937 |
昭12 |
26 |
5.5美徳誕生 |
7.7日中戦争(蘆溝橋事件)、8.第2次上海事変、華北から華中南に戦争拡大、11.日独伊防共協定、12.南京占領・大虐殺 |
1938 |
昭13 |
27 28 |
6.22充員召集により歩兵第十連隊補充隊に応召(軍履歴書、自筆履歴書)、6.23第110師団通信隊に編入(軍履歴書)、6.29岡山真備女学校にて百十師団通信隊を編成(写真)、7.4.妻子及び兄源実の家族と会う(写真)、 |
1.日中和平打切、4.国家総動員法、7.張鼓峰事件、10.広東・武漢占領、 |
1939 |
昭14 |
29 |
1月-9月保定にて城内警備、11月より石家荘にて警備、11月より曲陽方面討伐、11.23石家荘将校集会所落成式典を神官として執行(手紙下書) |
5.ノモンハン事件、7.日米通商条約破棄、 |
1940 |
昭15 |
29 |
1.1紀元2600年を記念して時の鐘を2600回撞く(写真、美徳記憶)、 |
3.南京政府、9.北部仏印進駐、日独伊三国同盟 |
1941 |
昭16 |
30 31 |
1.1順徳にて紀元2600年記念式典および官民合同慰霊祭を執行、5.6補充交代内地帰還のため河北省石門出発、5.10塘沽出帆、 5.16大阪上陸、第54師団通信隊に転属、5.19陸軍 伍長、5,20召集解除(軍履歴書)、内閣恩給局に軍人恩給を請求(恩給支給願) 9.30 |
4.日ソ中立条約、7.南部仏印進駐12.太平洋戦争始まる |
1942 |
昭17 |
31 |
2.13捷春誕生、5.5捷春誕生記念俳句会開催(写真) 6.10財団法人生活改善協会より時間尊重定時励行の功績者として表彰を受ける(表彰状) |
1.マニラ占領、2.シンガポール占領、4.東京 初空襲、6.ミッドウェー海戦敗北、 |
1943 |
昭18 |
33 |
1.1大東亜戦争第二年目完勝祈願祭水垢離(写真) |
2.ガダルカナル撤退、3.アッツ島全滅 |
1944 |
昭19 |
34 |
3.1陸軍軍曹 7.9第84師団通信隊に転属(軍履歴書) 6.1晴行誕生
7.さめ弟・参三が召集され、岡山聯隊に入り、南方戦線に(磯田道子氏) 7.24~45.8.31第84師団通信隊(小田原司令部)において大東亜戦争内国戦務に従事(軍履歴書) *姫路の連隊に何度か母子で面会に行く(美徳記憶) |
7.サイパン島玉砕、12.B29空襲 |
1945 |
昭20 |
35 |
3.1陸軍伍長、5.5田中参三がフィリピン・ルソン島 マニラ東方のモンタルバン川ワワダム近くの丘陵で戦死(磯田道子氏)、5.帝都防衛隊として東京にて大空襲に遭遇(手紙下書)、8.15本土決戦のため |
1.ルソン島に米軍、3.硫黄島殲滅、3.東京大空襲、4.沖縄に米軍、8.15敗戦 12.第1次農地改革法 |
1946 |
昭21 |
35 |
1.10村社から郷社に昇格する(自筆履歴書) 6.15神社本庁から正階の位階を受ける(階位辞令)、7.1法改正で神社本庁より
宮司に任命、十級俸給(辞令) |
10.第2次農地改革法 |
1951 |
昭26 |
41 |
5.1高梁高校 |
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1954 |
昭29 |
44 |
10.13御前神社本殿・幣殿・拝殿屋根葺替工事竣工式(自筆履歴書) |
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1955 |
昭30 |
45 |
御前神社拝殿・幣殿屋根葺き替え |
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1964 |
昭39 |
53 |
4.11夜10時頃、住宅西側の急傾斜地が崩壊して住家・社務所・石段等が被災、崖下の日新高校校舎も被災、社務所に避難生活。氏子総代会にて住家の移築を主張するも否決され、崩壊崖地の防災工事、家屋、石垣復旧を年内に完了。この間、住宅移築について総代や元総代と確執があり、御前神社宮司辞職を決心(災害記録、御前神社宮司辞任に関する理由書) |
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1965 |
昭40 |
55 |
5.1移転を決めて |
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1966 |
昭41 |
55 56 |
2. |
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1970 |
昭45 |
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1.18岡山神社で戦友会(写真) |
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1975 |
昭50 |
65 |
11.1高梁高校より職員としての功に感謝状(感謝状) |
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1976 |
昭51 |
66 |
12.御前神社に祖霊社を建立 |
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1977 |
昭52 |
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岡山神社で戦友会(写真) |
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1983 |
昭58 |
73 |
この頃より墨絵を趣味として展覧会等に出品(誄辞参考資料(一)続き) |
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1989 |
平1 |
78 |
3.31岡山神社権宮司を退職(自筆履歴書) |
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1993 |
平5 |
83 |
大阪市に移転、捷春の近くで暮らし始める |
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1995 |
平8 |
85 |
10.11脳梗塞で入院、12.18帰宅療養中を家族に見守られて死亡享年85歳 |
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2008 |
平20 |
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10.21さめ死亡享年98歳 |
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