2021/06/25

hakodate函館の街並み景観

 函館の街並み景観

伊達美徳
1992

 先日、函館に行ってきた。一日もあれば街を見られると思っていたのに、都合三日間もホテル住まいをしまったほどにおもしろい町だった。
 その面白さとは、近代日本で三か所の開港した都市として近代の発展を遂げたのだが、その後に停滞の時代があったために、近代化時代の遺産として残されている建築群の街並みである。

 「伝統的建築物保存地区」に指定されたところはもちろんとしても、ただの商店街も実に面白いとしかいいようのない看板建築やら近代建築やらを、立ち腐れるかと危うげながらも生きて使われている有様は、誤解を承知でいえば、一周遅れのトップランナーとして生き返る可能性を大いに秘めている北国の街であった。
 すでに街並み保全のための市民や行政の活動が成果をあらわして、歴史的な街並みの価値は徐々に知られてきて、港の倉庫街もはやりのマーケットに転じたりしてもいる。そこで、さすがはバブルの不動産屋、伝統的街並みの中に早速にリゾートマンションを建てて売り出したのであった。
 街並み保全運動に活躍された市民の方が嘆いて言うには、私たちが街並みの価値を知らせたばかりに、かえって街並みを乱す妙なマンションができてしまった、と。
 なるほどゆるやかに港に下ってゆく独特のエキゾチックな街並みの中に、まるで関係のないデザインのマンションがあちこちに建っている。だが、その多くははじけたバブルの結果、真っ暗なままで住む人がいないものが多いという。
 それにしても、マンション設計の建築家たちは、いったいぜんたいなにをしているのか。もう少しは街並みのコードを読みとって設計したらどうだ、と怒りたくなるデザインばかりである。
 私は凍結的に街並みを保存することは反対だし、都市は時代の変転に対応することが必要と考えているので、マンションを頭から否定はしないのだが、設計者は目の前に見えている街並みのコンテクストをなぜ読み取ろうとしないのか不思議で仕方がない。
 隣とは違うデザインをするのが使命と心得ている建築家が多いのは、函館に限らない。 デザインが下手なら、せめて街並みから引っ込めて、道の並木の樹木で目隠しをせよといいたい。
 いま私は、「街並みのコード」といったのだが、歴史的街並みはいずれもコードが働いているところがあげられる。 そしてそれは、ひとつひとつの建築デザインはそれほどでなくとも、街並みの群としたときに美しさや個性が見えてくるのである。
 早くいえば個別の建築は、下手な建築家が設計しても大工が建てても、コードに沿えば街並みとしては上手に納まるのに、下手なままにコードによらずに設計するから困ることになる。
 そこで函館市は、個性ある街並みをもつ西部地域の建築に、デザインをコントロールするべく都市景観条例を制定したのである。


 ここで函館に限らず当然のこととして、建築家から反論が出るはずである。
 デザインコードというような、決めつけをすることは表現の自由を奪うし、なにが美しいかは建築家の表現によるものであり、上からデザインを規制で決めるべきで無い、と。
 これはかつて有名な「丸ノ内美観論争」の時(1977年前後)に建築家が唱えたのであるが、今も相変わらずの根強い論理である。
 ではその後、丸ノ内は美しい景観になってきたのか、と問えば、建築家も含めてだれもが首を傾げるだろう。
 はっきり言えば、敷地主義でしか設計できない体質が今の設計者たちにはある。敷地の中の柱割りからプランと意匠を決めるので、街並みからくる景観のことは忘れてしまうのである。
 まかり通る建築敷地主義と建築家の独善が街並みを壊すときに、デザインコードを上位計画でかけるべきであると私は思う。
 そのコードは、例えば地区計画と建築協定というような、住民参加によるコンセンサスと法的担保があることが望ましい。それが民主主義というものである。
 そしてもちろん、なにごとにも例外規定があるように、コードを逸脱してもなおかつそれが地域の景観にとって優れたものを生み出すならば、それを認めるというシステムを備えておけばよい。
 それ程に優れたものを設計する建築家がいるなら、そこで頑張ればよいのである。いつの時代もそのようにして時代を突き抜ける練達の者がいて、次の時代を作ってきたのだから。
 さらに付け加えておかなければならないが、街並みのデザインコードというと、例えば周りの建築とそっくり同じにすればよいのだろうと、これまた安易に考えるものも出てくるようでも困るのである。実際その様なことも往々にしてある。
 それは下手なことをされるよりも、まあよいのだが、それでは建築家という職能としていかがなものであろうか。コードの中で新しい造型をつくりあげることも必要なことであり、それが力量でもある。

注:本論は1992年に「日刊建設通信新聞」に連載したものの一部である。ただし写真は本掲載にあたって再編集した。 

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