2021/07/07

fashion-town1長寿社会のまちづくりとファッションタウン

 長寿社会のまちづくりとファッションタウン 

報告者  伊達 美徳(ファッションタウン推進委員会委員 )

1988年  

はじめに 

このようなテーマを設定したが、ファッションタウンと長寿社会、つまり高齢社会とがどのような関係にあるのだろうかと、疑問に思われる方も多いだろう。
 私はファッション産業の専門家でも人口問題の専門家でもないが、都市計画や地域政策等に関する、いわば“タウン”の専門家である。これまで都市計画家として、全国各地の“ファッションタウン”や“MONOまちづくり”(国土庁)などの地域施策に携わってきた経験から、これからの地域社会を育てていくには、産業と都市の連携というファッションタウンの考え方が重要であることをますます認識を強めてきた。
 特に日本全国共通の問題として、高齢社会のあり方が実に大きく横たわっていることが分ってきた。そこで、ファッションタウンを特にその面から考えてみたいのである。 

  1.間もなくやってくる「GOLD RUSH」日本

(1)日本は世界一の長寿国へ
 日本の人口は少産少死の傾向が強く、大体2007年頃に1億3千万人でピークになり、その後下り坂になっていく。2100年には7千万人ぐらいに減るだろうと言われている。  まず、日本の人口の構造を把握しておきたい。日本では、諸外国に比べて極端に速いスピードで高齢化が進んでいる。その速度が世界一の速さであることに、大きな問題を抱えている。そして2001年には世界一の高齢国になると予測されている。 


 高齢社会の定義については、国連によると国の全人口のうち7%以上が65歳以上になったときに、その国は高齢化社会が始まったとされ、それが倍の14%になると高齢社会になったとされる。
 日本は1970年に7%になり、それから24年後の1994年に14%を超えて、現在は15%以上と、既に立派な高齢社会の国になっている。実は、この日本の24年という高齢社会への速いスピードが問題なのである。同じ期間がフランスは114年もかかっているし、有名な高齢国スウェーデンでさえ82年かかっているのである。
 日本の24年という期間はあまりに短すぎて、現状の年金、福祉、雇用、介護そして街づくりなどに諸問題が現れているように、高齢社会に向けてのいろいろな整備がたち遅れたのである。
 これからどんどん高齢化が進んでいくが、このまま行けば2015年には4人に1人、2050年にはなんと3人に1人が65歳以上という、超高齢社会になると推計されている。

(2)大都市に集まる超高齢者 
 一方、では高齢者たちが日本のどこにいるのだろうかを見ると、地方都市や農村部に多いのだが、問題としてわかってきたのは、高齢者の大都市部への移動が始まっているということである。これは高度成長期に大都会に出てきて働き続けて定住した息子や娘たちの家庭が、田舎にいる超高齢となった親を引きとる現象なのである。いわゆる「引きとり老人」である。
  統計上で見ると、70歳以上の後期高齢者の増加は、神奈川県、埼玉県、千葉県などが日本で最も増えている。地方の高齢化も非常に進んでいるが、同時に大都市の超高齢化が進んでいる。
 大都市はまだ若い人がいるから大丈夫というのは間違いで、実は大都市の方が21世紀になると後期高齢者を多く抱えるという状況になる。前期高齢者はまだまだ働ける人が多いが、後期になると寝たきりの人が多くなり、これは福祉政策上の大きな問題になる。これが産業や都市にどの様な影響をもたらすか、状況を押さえておくべきだ。 


(3)生きがいを持って働く元気老人たち 
 ところで、日本の高齢者に非常に特徴的なことは、働いている元気な高齢者が実に多いことである。人口の中で働いている人と、働きたいが失業している人の割合を労働力率というが、総務庁が出した去年の統計で、65歳以上男性の労働力率は42%となっている。65歳になっても100人いれば40人以上が働いているのが日本だ。
  この数字を西欧の高齢先進諸国と比べると、フランスでは100人いてもなんと2人も働いていない。アメリカ、カナダでも11人から17人、イギリスでは8人弱となる。  日本の高齢者は、きちんと働くという大きな特徴をもっているのだ。
 この日本と西欧諸国との違いの背景には、どんなことがあるだろうか。発展途上国ではもちろん高齢者の労働力率も高いが、先進国としての日本でのそれとは、どう比べるか。現在の日本では、もう貧しいから老後も働くということではなさそうだ。生きがいとしての労働という視点が大きいだろう。
 社会的な活動への参加率も非常に高いということがある。7割以上の高齢者が何らかの形で働き、社会に参加するということを言っている。あるアンケートの結果では、60歳以上で仕事に就くとしたら、収入よりも仕事の内容の方が大事であるとか、社会参加をしたいという要望が高い結果を示している。(資料「鎌倉市『高齢化社会に向けての市民意識調査』参照」)
 このようなことが今後の日本の産業社会のあり方にも大きな影響を与えずにはおかないはずだ。

 (4)団塊世代の大量高齢突入
 第2次大戦直後のベビーブームが生み出した団塊の世代が、これから高齢社会の構成員に大規模に突入していく。2004年頃に5百万人が60~65歳になる。なんと今より50万人も、その年代の人口が増えるのである。
 この階層が、社会に占める位置がどの様になるのか。一方で若年層が減ってくるのだから、労働市場も変わらざるを得ないだろう。この5百万人を労働市場としてきちんと吸収できる仕掛けがないことには、非常に大きな社会不安材料になるおそれがある。
 今の状況を見ると、まだ60歳定年も行きわたっていないので、労働需要と供給側との対応は遅れている。不況で企業のリストラクションなども絡んで、高齢者労働の供給側が増えていても需要側が減っている状況をどう打開するか。
 一方、高齢者もかつてより質的に変化していて、肉体的には健康で、高学歴の能力の高い高齢者が増えてきている。60歳ないし65歳を超えたら、ヘルスセンターで風呂に入って民謡を歌っているというようなタイプではなくなってきている。 

 (5)産業界における高齢者
 高齢社会の進行を裏から見ると、労働市場の中心を占めている生産年齢人口が減っていくことである。産業側としても今は高齢者の雇用に否定的な傾向だが、いずれそれを労働力に組み込まないと日本の産業はやっていけなくなるに違いない。外国人労働者の輸入という別の手もあるだろうが、それの長い歴史のあるヨーロッパでも問題となっていることが、日本ではもっと難しいだろう。
 それと同時に、産業界でも高い能力や技能を持っている人たちが、だんだんと高齢化している。日本の高度成長期に技術革新が進んでいって、生産現場を支えていた熟練技能は、高度技術にすべてとってかわることができるとして、大量生産方式が優位を占めるようになった。そして技能を持った人たちはもう必要でないとされて、次第に排除して後継者の育成も怠った時代があった。
 ところが今になって分かったことは、実はものづくりの現場は熟練の技能者がいて、彼らが高度な技術を支えていたということであった。発展途上国に移転して空洞化する日本の産業社会において、高い価値のあるものづくりを支える技能者はどんどん高齢化してしまっている。こういう人たちの力をどうやって社会に受け継ぐか、大きな課題になってきている。

 (6)「OLD TOWN」は「GOLD TOWN」
 高齢人口が増えると、当然のことながら高齢者の世帯も増えてくる。高齢者が増えるし、高齢世帯も増えると、世の中活気がなくなるといわれる。
 では高齢世帯は、貧しいのであろうか。一世帯当たりの所得では高齢者世帯の方が若い世帯に比べて少ないが、一人当たりで比較すると高齢者世帯では208万円で、全世帯の平均の 216万円とあまり変わらないのである。高齢者が貧しく、高齢者ばかりになると街は衰退するというのは大きな間違いなのである。
 その上、住宅や金融資産は高齢者の方が若い世帯よりはるかに持っている。住宅ローンを抱える若い世帯よりも可能処分所得は高いといえる。リバースモーゲージという制度が動こうとしているが、高齢者だからこそ資産をきちんと持っていることが背景にあるからこそできることだ。貧乏だから日本の高齢者は労働力率が高いというわけではない。
 そのようなことを考えてくると、高齢化が急速に進むことを「OLD RUSH」と言うなら、働く豊かな高齢者が増えることを「GOLD RUSH」と言おう。だから高齢社会における街は「OLD TOWN」であるが、実は「GOLD TOWN」なのである。

  (7)また増える子供のことも考えておこう
 冒頭に述べたように、日本の人口は減少してくる。この人口減少の大きな原因は、子供が生まれなくなってきているという、いわゆる少子化という現象である。女性が子供を産まなくなってきているのだ。
 合計特殊出生率が2.08以上でないと人口が減る。つまり女性が一生のうちに、一人平均2.08人以上の子を産まないと、人口は減っていくのである。ところが日本では、もう1995年で1.42人になっており、このまま推移すると2000年には1.38になる(注―現実には1.36人だった)。
 では子供は減るばかりかと言えば、必ずしもそうではない。2015年には団塊の世代の娘たちが子を産む年齢になってくるため、一時は子供が増えるのである。
 つまりこれから子供が減るばかりではなく、ある時に再び増える時がくるのである。その時に、子供たちを健やかに育て、その母親たちが安心して社会に参加できる社会としての仕掛けも用意しておかなければならない。
 中心部で学校生徒の数が減ったからといって、廃校にして統合することもおこわれている。ここで本質的なことは、町の学校生徒が増えてくるように、住民のほうを増やすことであるのに、安易に廃校にしてしまう。少なくとも段階世代の娘たちが子を生み出すと、再び子供が増える。今の現象だけにとらわれていると、また詰め込み教室になる子供がかわいそうだ。

  2.空洞化する中心街「GOHST TOWN」

  (1)全国共通の問題はあるべき姿か

 ところが今、その高齢社会が待ち受ける全国の都市で街の有様を見ると、「GOHST TOWN」化が進んでいるのである。せっかくの「GOLD RUSH」を受け入れない「GOHST TOWN」、つまり都市の空洞化と産業の空洞化の進行である。
  西の京都西陣と東の桐生といわれた絹織物の産地の群馬県桐生市は、ファッションタウン先進地である。その桐生でも、88年から94年の間に都心部の人口が100~14%も減っており、都心部人口の25%が65歳以上である。つまり街の中心では4人に1人が高齢者という状況にある。高齢者がいることが悪いのではない。あまりにコミュニティの構成に偏在があり過ぎるのが問題である。


 タオルの産地で有名な愛媛県今治市でも、ファッションタウンに取り組んでいる。ここでも総合計画における目標人口とは大きくはなれて人口は減少しているし、特に中心市街地以外の人口はじわじわと伸びているが、城下町あるいは港町として伝統のある中心市街地の人口はどんどん減少しているし高齢化もしている。産業の空洞化も起きている。
 国土庁の「MONOまちづくり」でモデルとして研究した兵庫県豊岡市は、鞄の産地であるが、ここも桐生や今治と同様である。
 特に産地でもない地方都市の例も津山市、鶴岡市、飯田市などで見ていただきたいが、状況は同じようになってきている。
 このような中心街の「GOHST TOWN」現象が全国共通ならば、それが自然のなりゆきで当然の現象と見るか、いやそれが日本全国の共通の問題と見るか、人によって違うだろう。だがこの状況は、実は日本の高齢社会突入という基本的な背景から見ると、大きな問題を含んでいるのであり、ファッションタウンがその問題解決の展望を担っていることを、今日ここで私は言いたいのである。   

(2)工業都市づくりの行き着いたところ
 ここで日本の近代の都市が、どのようにできてきたかを振り返ってみよう。
  大雑把にいうと、日本の都市計画は富国強兵のための産業振興を目的とする工業都市づくりから始まったと言ってよい。
 明治以降の日本での最初の都市計画は1889年の東京の市区改正である。都市計画法ができたのは1919年で、大体このころに日本の都市計画の基本が生まれてきたといえる。だがそのベースには富国強兵の思想があるために、産業政策が基本にあって、生活空間であった都市空間を、近代化のための工業に明け渡すというスタンスがかなり強い。
 イギリスの田園都市に見るように、住宅政策が基本になりながら産業との調和を目指す西欧の都市計画に比べると、異なるところがある。
 日本にも田園調布のような田園都市ができているという指摘があるかもしれないが、これはイギリスの田園都市とは違ったものである。イギリスの田園都市というのは、工業と住宅の両方が成立する都市だが、東京の田園調布は都心から住宅が逃げざるを得なくなってできたものである。田園調布の売り出しは1917年だが、「工場である東京に通勤する人たちに…」という宣伝文句であったそうだ。ここにも工業優先の考えが見える。
  都市計画とは基本的には地域社会への公共介入だが、日本では地主階層が強かったためにこれができにくいということがあり、なまくらなまちづくりとなり、市場に委ねるようなまちづくりが行われてきた。そのことが開発が容易な郊外にまちをつくっていくということになり、郊外への無秩序なスプロールと、都心部の工業化という、両方の悪影響が重なってきて、非常に住みにくい都市に、街になっていった。  

(3)後始末のない産業立地の空洞化
 こうして生活圏はどんどん郊外へ郊外へと移り、長時間通勤による疲労はたまり、生活圏は稀薄に拡散してきた。生活圏が拡散しているために、コミュニティが保てない。
 かつては街の中でお互いの顔が見える形で住んでいたのが、顔が見えにくくなってコミュニティが崩壊してくる。何か災害があった時にはお互いに助け合うことができにくい状況になっている。
 ところが、これまで都市の中心部を産業に明け渡していったはずなのだが、いまになって明け渡してもらったはずの産業の方が立ち行かなくなってきた。跡地を市場原理に任せてほっぽりだして郊外に出ていったり、あるいは中国に工場を移してしまったり、地方の労働力のあるところに移っていく。産業の空洞化である。
 それまで営々と産業のためのまちづくりをしたはずが、その産業自体が自分の足元からまちを崩壊させていくという状況が、中心市街地の空洞化という形になって現れている。その一方で、その出ていった跡地のあり方を市場原理に任せたままにするので、跡地開発が日照、商業、交通などのトラブルなどを引き起こし、更に街や都市に混乱をもたらすことも出ている。   


(4)都心が空洞化しているのに郊外新開発
 ここに4年前に国土庁が最初にファッションタウンを手がけた時にモデルとした福井県の鯖江と武生の例がある。両市は同じ程度の規模の隣接するツイン都市で、眼鏡やアパレルの地場産業がある。
 国街道を中心とする伝統のある町並みを持つ街だが、郊外部にバイパス道路を通してその沿道部にスーパーマーケットやたくさんの安売り店などができている。その影響で、中心商店街は衰える状況が起きている。
 そのバイパス道路沿いの田圃の中に、福井県丹南地方の産業振興の目玉としてつくられた大規模施設「サンドーム福井」が建っている。そこは鯖江市と武生市のちょうど市境界線上にあたるのである。
 両市の誘致合戦で市境線上をさまよった結果、こんな場所に決まった経緯があるらしいが、結局はどちらの市の中心部からも最も不便なところを選択したことになる。
 そしてドームを中心として、その周りに新しい市街地をつくろうとしている。だが、両市あわせての人口も減り、都心部も空洞化が激しいのに、このような新しい大開発プロジェクトを進めると、更に空洞化を進行させることになるのではないかと心配である。
  更に、北陸新幹線がその内にやってくるとして、新駅誘致とその周りに大規模開発の案もあるらしい。人口が増えない状況の中で、さらに産業の空洞化が進む中で、このような郊外開発を起こすという考えがこれから可能であろうか。
 このような人口と開発のミスマッチ現象は、福井県に限らず日本各地に見られる現象である。ニュータウンと工業団地づくりこそが地域発展の原点であるとしてきた政策は、おいそれとは変えられないようだ。
 あちこちで市役所や商工会議所が、駐車場が広くとれるからとか言って、郊外に移転したがる傾向がある。文化センターが流行すれば、土地の手当てがしやすいというだけの理由で、町から遠い山の中や田圃の真ん中につくったりする。
 いつから公共施設がスーパーマーケットと同じになったのだろう。買い物ならだれかがまとめて買ってもよいのだが、文化センターにだれかにまとめて音楽を聞いてきてもらうわけには行かない。美術館で絵をだれかに見てきてもらうこともできない。
  既に人口減少が起きている市町村が全国の60%ぐらいあるのに、ニュータウンをつくったり郊外へ公共施設をつくる政策が続けられている。だれがそこに暮らすのだろうか。このギャップも大きな問題となる。   

(5)バイパス道路は何のためか
 発展は拡大であるとの成長神話に支えられて、このような都市の拡散が起きている。そこにはモータリゼイションによる移動信仰に支えられているところが大きい。古い中心街よりも、郊外のほうが自動車で走りやすいから便利というのである。
 こうして田畑をつぶしてミニ開発の住宅地がバラバラと立ち並び、バイパス道路という本来定義では沿道利用がないはずの道路沿いに自動車屋と安売り店舗とが、目立ちさえすればよいとする薄汚い風景をつくる。
 バイパス道路とは、本来は中心街の中を通過するだけの車が多くなって、街に用のない車は外を通ってもらおうということでつくられるものだ。だから、沿道の利用は本来するべきでないものなのだ。
 ところが、バイパス道路沿いに店や住宅を張り付けることを許容していったため、そこからの発生交通でまたも道路が混雑し、バイパスのバイパスをつくろうということになる。こうなると、バイパス道路を造ることが目的となって、本来の中心街の環境整備の目的が忘れ果てられてしまった。何本もバイパスをつくり、だんだん街は稀薄に拡散していく。
 道路は目的ではなく手段であったはずが、道路をつくること自体が目的になってしまった。そのことによって建設産業が地場産業になるという妙な構造が起きている。   

(6)地球環境に負担をかける郊外拡散
 こうしてモータリゼイションにのせられた人々は、郊外に移り住み、郊外店舗に車で買い物に行き、郊外から都心に毎日長距離通勤する。自動車のある生活が中心だから、自動車の運転できない、郊外に住む老人や子供は誰かに乗せてもらわないと、買い物にも遊びにも行けない。
 わが家が姨捨山となる老人は悲惨である。広い範囲に老人が散在して暮らしていると、これからの福祉行政はコストのかかるものになりそうだ。
 毎日の長距離通勤は、個人にも肉体的疲労がかかるばかりでなく、環境にも問題だ。通勤にかかるエネルギー消費は、全国的に考えると膨大な量だろう。
 街をとり囲んで人間としての生存を維持してきた緑の環境は、郊外開発で次第に食いつぶされた。気候を和らげ洪水を調整しレクリエーションの場となる緑の丘陵地や、食料を供給する農地がなくなってよいのだろうか。  

(7)無駄な二重投資
 郊外に移り住むことで中心街から人口は減るが、車を運転できない老人たちは歩いて便利な街に残って暮らすことを選択する。だから中心街は人口は減るが、老人が増えることになる。
 こうなると、中心商店街は没落する、街のお祭りの御輿を出せない、伝統的な町並みを維持できない、というように長い間に養ってきた都市の文化が消えていくのである。
 さらに見過ごせないのは、どこの中心街でも、道をつくり、家を建て、町並みをつくり、市役所や病院などのコミュニティのための施設をつくってきていることだ。市民がみんなで長い時間をかけて社会資本を蓄積してきたのに、街の外に産業も人も流れていっては、これらのせっかくの投資が無駄になってしまうではないか。
  街が拡散していっても社会として支えていかなければならないから、広い範囲にわたって道もコミュニティの場もつくっていかなければならない。その新規投資も必要になる一方で、これまでの投資が無駄になるという、二重の投資が必要になっているわけだ。  (8)少子化時代はコミュニティのケアが大切  街の生活は、コミュニティで助け合うことで成立してきたものである。稀薄な街の拡散と、少ない高齢者だけの中心街では、この助け合うことができにくいということが大きな問題になってくる。
  阪神淡路大震災のときに、親密なコミュニティのあった街とそうでない街とでは、復興に大きな差が出ていることが指摘されている。
 一方、少子化つまり兄弟が少ない状況で子供が産まれ育ってきている。親戚や兄弟が多ければファミリーの中でケアし合うシステムが機能するが、これから少子化が進むとそれができなくなる。
 つまりコミュニティでお互いにケアする社会をつくらなければ、高齢化社会が成り立っていかなくなるだろう。コミュニティが成立しにくい薄まった拡散型の社会構造の中で高齢化がすすむと、行政に頼るしかなくなる。介護保険の話題の一つ在宅介護も、あまりに拡散してケアが行きとどかなくなると、わが家がそのまま姥捨山となることも起こり得るだろう。 

  (9)欠けているマスタープラン
 つまり都市計画というのはものをつくることになっていて、大きな意味でのマスタープランとしてどうあるべきかがないままに開発が進んでいるわけである。
 今でもそうだが、日本では、道路をつくる、住宅団地をつくる、工業団地をつくるというハードをつくることが、一般に都市計画と思われている。事実、これまでの都市計画がそうであったとも言える。
 だが本当は、“計画”というように都市計画とはプランニングであるべきなのだ。それが事業になっているというのが、日本の都市計画の特徴的なことである。これは、産業優先の政策の中で、都市計画はそれに奉仕するのが精一杯だったということかも知れない。
 いわゆる都市がどうあるべきかという将来像をきちんと押さえるマスタープランがないままに、ここまで来ているのである。
 これは原則公共介入の都市計画ができず、原則市場まかせになっているため、産業市場がどんどん土地を食い荒らすという状況が典型的にあらわれている。   

3.見えてきた「GOLD TOWN」長寿社会の街──中心街の再生

 (1)産業空洞化の問題
 中心部の空洞化がもたらすこれからの問題を指摘したが、もう一つの空洞化、すなわち産地の産業の空洞化がもたらす問題がある。この面については、別に専門家の方々からの指摘があるので、ここでは詳しくは述べない。
 ただ、高齢社会の都市の側から、産業空洞化への問題を指摘しておきたい。その第1は、高齢者の働く場の問題である。高齢者が中心街に残る傾向があるように、高齢者にとっては都市の中心部が暮らしやすいところなのである。その中心部から産業が外に出ていったのでは、高齢者は働く場所を失うことになる。
 第2の問題は、働く場所を失い、周りに若者がいない高齢者だけの街となると、高齢者のもつ高度な技術や技能、あるいは豊かな社会経験などの資産を、社会として継承できなくなることである。  

(2)高齢者の就労圏
 これからのまちづくりにおいて、働き者の勤労者として高齢者をきちんと位置づけしていくことが重要だと思う。生産年齢人口が減っていくのだから、60歳以上の老齢人口が労働に参加する必要性が、産業の側からも当然起きてくるだろう。それを前提に、元気に働く高齢者が働きやすいまちは、どのようなものか考えておかなければならない。
 高齢者がいくら元気であると言っても、頭脳的能力はともかくとしても、いかんせんやはり若い人と比べて身体的能力が衰えるのはやむを得ない。だから自動車運転が難しくなると、かなりの割合で自転車に乗り換えている。だが、高齢者の自転車乗車中の死者がかなり多いことでみるように、自転車で安心して動ける街にはなってはいない。
 自転車で移動できるくらいの広がりの街に、暮らしの場と働く場とがそろっていることが基本となるだろう。    


(3)高齢者の生活圏
 生活者としての高齢者をとらえていくと、これも自転車くらいの規模の範囲の街に、日常生活の機能がそろっていることが基本となる。そこには商店街もあれば、飲み屋もあるし、文化の場もある。
 すでに指摘したように、高齢マーケットはかなりの量があり、可処分所得も決して少なくないのだから、商店街は十分に成り立つはずである。商店街の再建には、このあたりにもっと目を向けるべきではないか。
 また高齢者にはいろいろ有能な方が大勢いるわけだから、社会活動のリーダーも出てくる。コミュニティの再生のためにも、中心街に高齢者が戻ってくるように、環境のよい住宅をつくり、便利な働く場をつくり、高齢者が相互にケアし合いながらこれからの社会を支えあっていくようにしなければならない。
 最近、高齢社会のまちづくりが流行で、人にやさしいまちづくりとか、ハートビルとかバリアフリーとか妙な言葉ばかりだ。ところがその中身を見ると、身体的にハンディキャップのある人のために、路面や床面の段差をなくしたり、エレベーターをつけたりというような、どちらかといえば小手先のことばかりだ。そのようなことは、本来は高齢社会であろうがなかろうが、昔から身体にハンディキャップのある人はいたのだから、やらなければならないことをさぼっていたにすぎないことなのだ。
 国の政策として高齢者基本法ができて施策の大綱が出されているが、その中身を見てみると、高齢者の都市における生活圏はどうあるべきか、あるいは就労圏はどうあるべきかということについてはほとんど見られないのである。
 実は重要なことは、都市や街のレベルで高齢社会をどうするかということである。それは集まって暮らし集まって働くと言うコミュニティのある中心街の再生こそが、高齢者の街づくりであると、私は考えている。

 (4)働く女性の街
 高齢者のための街は、実は若者にも使えるまちなのである。逆に若者向けのまちは高齢者にはなかなか向くものではない。原宿では高齢者は遊びにくいが、巣鴨では高校生が遊んでいる。
 多くの出会いがあることが、若者にも高齢者にも、街づくりの基本である。拡散してはそれはできない。だからあの格好悪く安っぽい郊外スーパーマーケットにさえ、大勢の人々が集まるという理由で若者が遊びに行くのである。要するにあれは、街の代替施設なのである。
 高齢者礼讃をしてきてはいるが、もちろん本質的なこととして、それを支える若い世代がいる街でなければならない。それは少子化時代になってきて、子育て世代の階層をいかにして街に引き止めるかということでもある。
 ここで意外というか当然というか、子育て世代の女性と働く高齢者とは、同じようなハンディキャップを持っているのである。子育て女性階層は、勤労能力の社会参加意欲も高い。それを生かせる環境を求めて暮らしの場や就労の場を変えることさえ多い。
 通勤時間が短く買い物にも便利な中心街に、暮らしの場と働く場そして子供を預ける場があれば、子育て女性の街となる。それは高齢者の街と同じである。
 これからは女性が社会に進出するのが当然の時代となる。特に高齢社会となると、女性も積極的に働いて老後に備えることが必須となる。それを支えるまちづくりも、必須のことである。  

(5)中心市街地の再利用へ
 
自転車移動の程度の広さの街に、生活、就労、文化、医療などの機能がセットされている街、それが高齢社会の街であり、少子化時代の子育ての街である。これをコンパクトタウンと言おう。
  既成の中心市街地こそ、コンパクトタウンである。そこは長い間の文化の蓄積の地である。郊外の安売り店やバラ立ちミニ開発住宅地では、とても太刀打ちできない本物の街である。これからは既成の中心市街地を再生して使おう。
 ハード面で言うと、中心市街地の再生は、インフィル型のまちづくりになる。今あるものを壊すのではなく、今あるものを修理・改善して生かして使いながら、それらの間にうまく新しい施設をはめ込んでいくまちづくりだ。
 桐生市でも、都心部の表通りに面しては街並みが揃っているが、一歩裏に入るとがらがらに空き地である。そういうところに環境のよい住宅をはめ込んでいく。本町通りの歴史的な街並みとセットにすれば、個性的なまちができる。桐生だけでなく、地方都市はほとんどどこでもそうで、良い資産が生かされないで実にもったいない状況にある。
 こういう話を地方都市に行ってすると、都心は地価が高いからできませんと必ず言われるが、郊外に街をつくってそこに新しい下水道を敷き、道路をつくり、そこにまたコミュニティセンターをつくるのに必要な総体的なコストと、すでに道路も上下水道もある中心部で同じ戸数の集合住宅をつくる時にかかる費用とを比べれてみればよい。明らかに中心部の再開発のほうが安いはずだ。
 ただ、郊外と比べると、関係者が多いから面倒ではある。面倒だから後回しにしてきた付けが、もうすぐ回ってくるのである。まちづくりというものは、やりやすいことばかりを先にやって、本当にやるべきことを後回しにしてはならないのだ。必ず歪みを招くことになる。  その点では、大店法の規制緩和で郊外大型店の出店が進めば、地域に不経済をもたらすばかりか、高齢社会への対応を遅らせることになると、私は憂慮している。

(6)ボローニャの例
 イタリアのボローニャは実に興味深い街である。ここは1970年代からまちづくりを延々とやっているが、中世の歴史的な街から現代の超近代的な街までがセットされている。  例えば、70年代に全く新しい官庁街を、オールドタウンのすぐ外側につくった。この都市設計は丹下健三氏である。
 オールドタウンを壊さずに修復して使いながら、そこに入れられない機能を全く新しいニュータウンを外につくって入れるという、新旧のセットで街づくりを進めている。
 実はイタリアでも古いまちを残すか壊すかと、長い間いろいろと試行錯誤があった。70年代までは古いまちを残すというのは、文化財として良いものは残すけれど、そうでないものは壊していくということだった。一連の町並みとしての視点がなかったと言うのだ。
 日本にもそういう面が見られる。日本の文化庁の考え方はどうしても文化財保護の傾向になりがちで、それが現実に暮らしている人々にとって、街並みの保存との間にギャップがあるところだ。
 イタリアでは70年代にまちづくりにおける価値の転換があって、街を文化の積み重ねとしての生活圏として見よう、町並みを保存し再生していくことは文化の継承なんだ、ということになったのである。
 特にボローニャはその先進的な取り組み例で、その頃に言われた重要なことは、都心における再開発のコストと郊外におけるコストの比較の中で、文化の継承をどのように価値として見るかということと、郊外に新しいまちをつくった時に失う農地や緑をどう評価するかというマイナス面の評価もきちんと見分けるべきで、その上で比較しないと、単に目に見えるコストだけでは、だめだということだ。
 そしてボローニャは、歴史のある中心街が今も生き生きとしている。   

 4.高齢社会を支える新たな産業社会としての「FSHION TOWN」 

(1)多様な価値の成熟した時代
 ここまで中心街の再生が、これからの高齢社会のまちづくりであることを、るる述べてきた。だが、高齢者の生活圏と就労圏を近付ける時に、彼らの就労先はどの様なところであろうか。もちろんこれまでのような業務や商業の都市産業もあるだろう。
 だが、価格破壊で売り出した郊外型の安売り店舗が、これからも続くとすれば、買い物に郊外に出かけるのでは、それもまた困るではないか。工業団地がこれからも働く場なら、これも郊外に通勤しなければならないのか。
 私は、これからのゆっくりとした成熟社会では、郊外店舗の安売り追及や工業団地の効率追及とは異なる都市産業の構造が産まれるに違いないと確信している。大量生産・大量消費の構造が日本におわりを告げて、アジア諸国に移ってしまったことは、だれも知っていることだ。一応の物品が家庭にも個人にもそろった今、安価と効率にお別れする時代となった。
 だれもが同じではなく、各個人の個性が多様になってきて、生活様式も多様になっている。とすれば、産業も個人の個性に対応する必要があるだろう。産業での働き方に、フレックスタイムやSOHOという在宅型の勤務形態が登場するのもその表れだろう。
 物づくり産業のつくる「もの」も、だれもに同じで安くというよりも、少々高くとも個々の要求に対応するもの、他の人は持っていない自分だけのものというような付加価値に大きな意味のあるものが求められつつある。
 物づくり産業ばかりではない。生涯教育といわれるように、人間を育てつづける産業においても、多様な文化を大勢の人々が求めるようになっている。    

(2)新家族型産業社会の登場
 この多様で高度な個人の要請に対応するために、熟達の職人技、高学歴者の深い教養、熟度の高い技術などが求められるようになる。これはまさに高齢者の出番であり、大きな就業の場となる。
 そこで高齢社会の街、中心街にこれらの技を生かすことができる産業を導入するのである。こうして産業と都市との新しい幸福な結合が期待される。これが私の考えるファッションタウンである。
  新しくもまた古いという表現は、かつて昔もこのような就業形態があったことに気づいたからだ。これほどに工業社会が進んでいなかった時代、つまり1950年代頃までは、街には町工場があり、熟練した職人がいて、日用品でも産業製品でもつくっていたものだ。街には商店街があって、商品のことをよく知っている店主がいたものだ。
 街にはいつも人がいて、子供をみんなで見ていたし、住民は互いに助けあっていたものだ。それが煩わしいと、若者は街を離れていったが、その若者も高齢者になると、街に戻るのがよいのだと気がつくはずだ。
 その時に安心して戻ってくることができるように、今から中心街を整えておかねばならない。なにしろ、超高齢者社会とは今の老人のことよりも、もうちょっと後の世代のことなのだから。
 ただし昔のように家族は多くないし、親類の数も少なくなる。だから地域コミュニティが主役となって、かつての家族、親戚の役割を背負わなければならない。家族労働あるいは家族経営という形態は、コミュニティ労働あるいはコミュニティ経営と言い換えることになるだろう。新家族型産業社会とでもいう構造が登場するのかもしれない。
 これは例えば大田区の蒲田あたりの下町工場街が、既にそれにあたるだろう。いくつもの小さいながら得意な個性を持つ産業同士が、地域でコンビナートになって生きて行く。
 私はよく知らないが、これは地域集合構造としてはスタンフォードやシリコンバレーなどと似ているのかどうか。むしろイタリアのカルピやモデナあるいはヴィチェンツァなどのほうが、構造として類似性が高いだろうか。   


(3)地域生活文化マスタープラン
 かつて重工業時代の新産業都市・工業特別地域があり、そしてハイテク時代のテクノポリスがあり、誘致のためのマスタープランがつくられたが、それがその後地域のまちづくりとなって生きているのか、そこのところがどうもよく見えない。
 商業の世界で今またもや大店法関係の規制緩和論議があるが、この調整の考えの中にまちづくりの視点が欠けていることが指摘されているらしい。だからといって郊外大型店が中心商店街の崩壊を招いたことを反省している様子は全く見えないが、よくわかったことは、都市計画と商業の振興との関係は、緊密なようでいて実は遊離していたことが暴露されてしまった。それは鳴り物入りで登場した商業集積法の現状にも表れているようだ。
  商業に限らず都市と産業の関係はあらゆる面で緊密であるはずだが、長い間の縦割り政策で施策は互いに背を向け合う関係に近くなってきているようだ。例えば、いま全国各市町村で都市計画マスタープランが策定中だが、産業政策とリンクしているものがどれ程あるだろうか。私のみるところほとんど無いように思われる。人口と土地利用の中で産業政策が占めるところは大きいのだが、産業政策のマスタープランそのものが無い市町村が多いのも現実である。
 拡大信仰が終わって崩壊しつつある地域を立て直して行くには、“まちづくり政策”と“産業振興政策”とが一体化した、“地域生活文化マスタープラン”とでもいうべきものがまず必要だろう。 特に今、中心市街地活性化のための施策が本格的に動き出すとしたら、このことが重要である。

注ー小論は、「ファッションタウンの本質」(平成9年度通産省委託調査(ファッションタウン構想調査研究 (財)日本ファッション協会 1998.3)に掲載した。


0 件のコメント: