地球一周旅行記
伊達美徳 1986
・1986年7月27日出発~8月12日帰国 世界一周旅行
・目的:横須賀浦賀マリーナ開発プロジェクト先進地視察
・参加:石原舜介先生夫妻、開発事業者、井上、伊達、杉野
ながすぎるあとがき
伊達 美徳
この調査報告書には団員のコメントと資料とで十分に内容が伝えられていますので,ながすぎるようですが、「後書き」として番外のことを幾つか書くことにいたします。
●東京,横須賀,石原先生ご夫妻の旅
「うちの旦那さまを含めて,男の人ってほんとにまあよく働くわねえ。」
これは石原夫人の何回もくりかえされたお言葉である。とにかく働く日本人丸出しのツアーに,石原先生ご夫妻を先導にお願いしてしまったのであるから,慨嘆と感嘆とをないまぜておっしゃるのも無理もないのである。
実をいえば,横須賀市の中心市街地整備のための調査として,市の都市政策審議会の会長である石原先生を団長とするツアーをもっと早い時期にと考えていたのだが,諸般の都合でこの夏になってしまった。
そしてしかも石原先生は退官記念に,ご夫妻で水入らずの地中海沿岸諸国を巡る旅を予定されていたのだが,これにもろにぶつかってしまった。そこで,もう予約さえされていた旅程をこちらに変更していただくことになったが,この無茶なことを快くききとげて下さったのである。
先生ご夫妻には,途中でお別れして先生の当初のご予定であったコースにお戻りいただくことも申し上げたのだが,親切にも全行程をご指導して下さるとのことにて,奥様には誠に申し訳なかったのだが,ご厚意に甘えることにした。どうも,教え子というものは幾つになっても恩師に甘えるものであるとお思いであろうと冷汗がでる。
ところで,初めからこんなにも忙しい地球一回りのツアーを組むつもりはなかった。とにかく調査したい所を思いつくままにあげておけば,後は旅行エージェントが適当に行程の都合で,このへんで諦めて下さい,と決めてくれると思っていた。
ところがはりきりエージェントのキタ青年は,「アンハッ,これで全部いけますーッ」と、地球一周の行程を作って来たではないか。そうなるとがぜん,こっちも欲がでて「ついでにここも,あそこも…」といって、とうとう一日300キロも走るような旅ができあがった次第である。
奥様,スリルもあって面白かったということで,誠にお忙しい目にあわせたことをお許し下さい。
●フランクフルト,ケルン,旅行カバン
外国旅行には例の車のついた大きなカバンを,独り者の引っ越しよろしくゴロゴロと引き摺るのが正式なスタイルである。なかなかのあこがれの格好であり,東京駅等で出会うと,ああ自分も旅行をしたい,と思わせてくれるものである。
ただしあれに一切合切を入れているのだから,もしこれが無くなると大変なことになる。それが今回のツアーで起こった。しかも石原団長のおカバンである。
欧州第一歩のフランクフルト空港で,待てども待てども先生のカバンだけが出てこない。うろうろ,あれこれしたが出ないものは仕方がない,追跡捜索をしてみつかりしだい,後からカバンに一人旅をさせて我々を追いかけさせるしかない。その手配をしてやっと欧州に第一歩を踏出した。
こうして,身ひとつになってしまわれた先生のなさったヨーロッパの初買い物はなんと,ケルンのスーパーマーケットであのお身体に合うデカパンであったことは想像に難くないであろう。
だが実は。先生のカバンには書きかけの原稿やらそのための資料も詰まっていたのである。これはスーパーマーケットでも百貨店でも現地調達はできない。
カバンが永遠に勝手な一人旅を続けるという万一の場合を考えて,団員一同お見舞いを用意したのだが原稿まではお見舞いしきれない。憂欝なことになりそうだ。
ところがしかし,その日の深夜,かの不埓な無断別行動を試みようとした先生のカバンは心を入替えたらしく,ケルンの宿に主を追いかけてきて再び団体行動に戻ったのである。ヤレ,ヤレ。
どうも日本人の旅行がどれもこれもJTB扱いだものだから,ロンドンの積み替えで他の同胞グループに仕分けされたらしい。
ところで,このようなトラブルが絶対起きない方法を,私はすでに10年以上前に考えついているのですよ,JTBさん。考えただけでなく実行もしている。ではその方法はなにか,などと既にわかっていることを勿体ぶっても仕方ないが,つまり,その様なカバンを持たないことである。
もともと無いものは,どんなことをしても行不明になることはない。世界に冠たるJTBの威力をもってしても,わがカバンに一人旅させることは不可能である。
では,カバンが無くて荷物はどうするか。さすがに手ぶらというわけにはいかないが,最大問題の着替えを少なくするには,上着はキタキリスズメを決め込むとして,下着は入浴と洗濯を同じ行為と決定し実行するのである。
今度の旅は,息子から借りた遠足用(最近は町中でもはやっているが)のリュックサック一つで足りた。この前はいつもの通勤用のカバンだった。この次は手ぶらに挑戦するぞ。
だが,これには隠れた被害者が出る。気の毒ながら今回は同僚のスギノ団員がこれに当った。つまり,現地で仕入れた資料はすべてそちらのカバンに回した。ついでに洗濯物も一一などとはもちろん思ってもみないのである。私のスギノ団員への罪滅ばしは,持たせた資料でこの報告まとめを一手に引き受けることである。
という訳で,日本ではしない買い物は外国でもしないが,日本ではしない洗濯は外国ではセッセとする。といってもワイシャツ,シャツ,パンツ,クツシタだけに過ぎないから威張ることではない。
ところで,カバンをもたない効用はとりたてて言う程のことはない。面倒なことが嫌いだからそうしているだけのことである。でもJTBの営業課長から,面倒をかけない客として感謝状を出します,など言われたことは,未だない。当方勝手にやっているのだから当然か。
さて、石原先生は,出てきた原稿の続きを旅の超忙中に超人的にお書きになったのであろうか。もしかしたら旅のお守り紙で終わったのではあるまいかと失礼なことを思っている。
●ユトレヒト,有料トイレット,通貨
ユトレヒトからパリまでは列車の快適な旅であった。南へ南へと運ぶ国際列車の車窓の緑の野には,つぎつぎと移り変わる民家のたたずまいと植生相の姿を展開して美しい。
その前,ユトレヒト駅での列車待ちは,次は12年ぶりの花のパリだと,なにやら心が弾む。ギルダーも上手に使い果して懐はきれいサッパリ,ついでに身体もきれいにしてパリに向かおうと駅コンコースのトイレットに入る。スッキリしてさて出ようとすると,なんとの例のトイレおばさんが出口にいるではないか。
うっかりしていたがここは有料であったか。確か入る時にはいなかったのに…。まあ,後架経営者だってその商品を使用して席を空けることもあろう。ハッとしてももうおそい水と安全と便所はタダと思っている日本人には,どうもこのシステムは苦手である。
しかし考えてみると,食べることと出すことはペアーの関係にあり,一方が必ず有料でありながらも,う一方が無料というのはかなりの差別行為であるともいえる。レストラン経営者がいればトイレット経営者がいてなんの不思議があろう。
どこかで歴史がかけちがって,食事は無料,排泄は有料という逆の習慣だって起こったかもしれない。国によっては会食ならぬ会便とか,立食パーティーならぬ…このての話はきりがなくなる。
というわけであるが,ここで慌てるわけにはいけない。悠然としてポケットに小銭を探るフリをするが,もとよりなにも無い。もしかしたら,日蘭親善のため結構ですわ,というやもしれぬと期待しつつ,「幾ら支払うべきや。されど余はギルダー小銭を持ちあわせぬが,いかがすればよきや。」のようなことを英語らしきものにて問えば,かの女史はこう答えた(らしい)。「されば、外のあの向うに両替所あり。かの所にて換えてきやれ。」
期待に反した答だがが仕方がない。いったんトイレの外のコンコースに出て両替所にと向かったのだが,待てよ,ここでこのまま逃げても旅の恥はかきすて,と思いついた。だが待てしばし,ここでは出す方も有料の社会であれば,これは食い逃げならぬ出し逃げという犯罪だろう。警官に追いかけられるかも知れない。ことがことだし,金額が金額だけにはずかしい。日蘭親善にもひびがはいる。
あいにく20ドル紙幣しかない。これを換えるとなんと、後架使用料以上の額の手数料をとられた。戻って小銭を支払い,やっと解放される。もう要らないギルダーがまたもや残ってしまった。いまさら仕方ないのでパリにてフランに両替したらば,またもや手数料である。買い物をする趣味がないものだから,万一と思って各国に入国の際に換えた通貨が出国時にそのまま残って,次の国の入国の際にまたそれを換える。
これを繰り返していると,買い物もしないのにどんどんお金が減るという現象がおこる。勘定して見ると,日本を出るときに円をドルに換えたのから始まって,再び帰国後に元の円に戻すまでに,7回も換えているのだ。
毎回3パーセントずつ手数料をとられたとして,1千万円のお小遣いはその0.97の7乗倍になって,帰ってみればこはいかに,土産も無いのに8百8万円になっているのである。
●南フランス,マリーナ,トップレス
「ただいまア,いやあ,やっぱりいました,いました,トップレスが。」
そうでなくともハードスケジュールの中を縫っての特別行動で,プラッセルから地中海のマリーナ調査を敢行した真面目かつ元気なスミトモ4人組は,中一日をおいてパリに合流したのであった。これは例のカバンのような不埓なものではなく,団長にはもちろん,国際電話で東京当局の許可も得て,誠に由緒正しき別行動隊である。
その一団の本隊復帰一番の報告がこれである。本隊が真面目に調査に勤しんでいるあいだに,マリーナ調査はともかくとして南フランスのバカンスを楽しんだ様子である。羨ましい,いや,これも不埓のひとつではないか。話は次第に発展し,スミトモ・カルテットの調子は上がるばかり。地中海ではトップレスが浜辺を埋めつくしていることになった。
「写真もどっさりとりました。お見せしますよ」「期待しています」
ところでこれを書いているのは,帰国後2か月,もう10月である。
「あのー,写真まだですか。ミツカさん」
「いやあ,帰国してから忙しくて,やっと写真整理したところです。もうすこし待ってください。ところで例の仕事の件ですが…」
またはぐらかされた。いまだに見せていただいていない。どうも,あれはホラではあるまいかと最近思っている。トップレスなぞ見る暇もなく,日本人流ツアー丸出しでご一日中リムジンで走りまわっていたに違いない。羨ましい,不埓な等と思ったのは間違いであった。
●サンフランシスコ,夏,冬
まだ,世界には不思議なことは多いと今更に知った。この齢になるまで北半球が夏であってもサンフランシスコだけは冬であるとは知らなかった。海には何とアザラシとペンギンが泳ぎ,人々はコートを着けセーターをまとっているではないか。
この目で見て,この身体で調査団員全員が体験してきたのだから嘘ではない。われら一行はそんなこととは知らないから,夏衣裳のまま吹雪の来そうな暗雲の下で震え上がってしまった。ホテルのロビーに玄関から吹込む風を避けて右往左往する始末である。
とにかくサンフランシスコの町だけが冬である証拠には,対岸のソーサリートに行けばやはり夏なのであることも確かめた。不思議なことである。
もしかしたら北半球が冬の時には,ここは夏なのかもしれない。昨年は5月に来たもので中間に気候だからわからなかったが,この夏よりも暑かったことは確かである。次はお正月に訪れてサンフランシスコの冬の夏(ややこしい)をぜひとも確かめたい。
そんなわけで一同,これ以上いると凍死する可能性もあるとぱかりに,団長夫妻はカーメルに,団員は東京へ,ロスアンジェルスヘと夏を求めて散り散りに別れて逃げ出したのであった。団長も団員もいなくては仕方ない,これでツアーはお終いになった。
皆様,忙しい旅にてお疲れであったと,申し訳無く存じます。この次は優雅極まるツアーを企画します。地球を縦にまわるのはいかがでしょうか。もう懲り懲りなどおっしゃらずにお楽しみに。
●ロスアンジェルス,サンディエゴ,マリーナ
サンフランシスコの冬から逃出した後のことを報告して置かなければなるまい。
私はスミトモ・カルテットのカバン持ちでマリーナ関係の特別調査のために,ロスアンゼルスヘと向かったのである。もうこれからは,海辺を巡る実にゆったり,ゆっくりとした優雅な旅である。
それでは,もう忙しさにおさらばした5人組は,南カリフォルニアの夏をどう過ごしたであろうか,その一端をお話します。
例えば,メキシコ国境近くの街に日帰り飛行機で往復とか,リムジンを借切って一日中10か所以上ももマリーナを訪ねるとか,日曜日朝のディズニーランドを2時間で全部回るとか,そんな忙しい行動は、、もう一切しなかったのである。
そうです,一日中高級リゾートホテルのプライベートビーチで飽きるまで日光浴をし,またある日は豪華クルーザーで太平洋のフィッシングにエキサイトしたりしたのでありました。ではせめて,あの高級ホテルの玄関でとった写真-みんなもう遊び疲れたという顔でもお見せして,これでおわりにします。
(20230713 元の掲載サイト廃止のためここに移転掲載した)
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